全学共通日本史(14秋)

唯一の史料である『古事記』『日本書紀』の信頼性が低いとすれば、聖徳太子だけではなく、その時代の史実とされていることすべてが間違っているかもしれないということでしょうか。

上にも書きましたが、必ずしもそうはなりません。授業で示したように、『日本書紀』を批判的に用いることで明らかになる事実もあるのです。例えば、崇仏論争は漢籍や仏典の引き写しとして、『日本書紀』の描く物語は虚構であることが判明しています。しかし…

『日本書紀』のように大きな問題のある文献が多いなかで、それでも当時のことを知るためには文献を頼り、批判することもまた文献に依拠するとすれば、歴史の真実を見出すことは可能なのかという疑問が浮かびます。

要するに、何を「史実」とするかという問題です。例えば、ぼくが批判的に行った、「聖徳太子は厩戸王を誇張的に描いたものだ」という指摘も、史実を叙述したことになるわけです。例えば『日本書紀』にしても、中国や朝鮮の史料、出土文字資料や同時代史料と…

靖国神社のお話がありましたが、私としては閣僚が参拝することに関して、当然のことであると思います。日本は政教分離でありますし、要は将来のために命を賭したご先祖様のお墓参りは、むしろしない方が失礼であり、日本という文化または国家の否定であると思います。

多くの点で間違っています。まず、現在靖国神社は公共の施設ではなく、一宗教法人に過ぎないということ。そうした機関に閣僚が公式参拝するのは、それ自体が政教分離を否定する行為であり、信教の自由の問題にも抵触します。また、靖国神社は先祖のお墓では…

憲法が国民の同意を得ずに解釈改憲される情況など、非常に危険であると思う。国民より国家情勢が優先されるのはよくない。先生は、どうすればこの情況を変えられると思いますか?

非常に危険だと思います。授業でお話をしていますように、いちばん気になるのは、そうした危険な動向を大部分の人が「危険」と認識せず、無関心のもとに放置していることです。若年層も、「誰に投票しても同じ」という常套句をファッションのように駆使し、…

国家神道が形成されてゆくなかで起きた神社合祀その他の政策に対し、一般の人々はただ黙ってみていただけなのでしょうか。 / 明治神宮の祭神は明治天皇との話ですが、明治天皇は神として祭られるくらい特別な存在だったのでしょうか。また、神社合祀などで無駄な神社を整理するとの話がありましたが、そもそも無駄ならばなぜ存在したのですか?

江戸時代までの神社のあり方は、授業でもお話ししたとおり、神仏習合が当たり前の情況にありました。寺院のなかに神社があり、神社のなかに寺院があるのが通常の風景だったのです。また、神道にも種々の教派があって、地域的・思想的に多様な神々が展開して…

国体を構築した政府の人々は、神なり仏なりを何かしら信仰していたのでしょうか。何も信じておらず、単に政治的に利用しただけなのでしょうか。

ひとりひとりの個人的信仰のあり方を復原するのは難しいですが、一般的にいってまったくの無神論者ではなく、やはり何らかの神仏に関わる信仰を持っていたものと思います。神道を強く信仰していた可能性もあります。怖ろしいのは、宗教の政治利用を主体的に…

天皇機関説についてですが、どこが国体明徴声明を出さねばならないほど問題だったのか、よく分かりません。

天皇が国家経営のための機関であり、制度であるということは、例えば近代的な国家概念のもとでは正しい認識といえるでしょう。しかし近代日本の目指した国体のあり方は、天皇自身を不可侵絶対の「現人神」に祭り上げることでした。こうした考え方のもとでは…

大正デモクラシーの情況下で国体を再編成してゆく際、明治天皇の死が何かしら関係していたということはないのでしょうか。

確かに、当時の政治家や文化人の談話などをみていても、明治天皇の崩御が「一時代の終焉」を印象づけたことは確かです。国体を強力に構築し、富国強兵を進めて世界に冠たる国家を建設してゆこうというモチベーション、時代・社会の雰囲気は緩和し、それが政…

日本が大陸に進出した際、これまでの考え方ではその支配を正当化できず、国体が動揺したということですが、領土の範囲を国体の視点からみるという考え方が、いまひとつ理解できませんでした。

すなわち、国体にしても皇国史観にしても、もともとはヤマト王権の「民族」主義的な神話に端を発しているので、せいぜい日本列島における大王=天皇支配の正当性を語るものでしかない。しかし帝国主義のものと他国の領土を侵犯し始めたとき、それを「侵略」…

皇国史観が吹き荒れた時代は、西洋のものが否定され日本のものが重視されましたが、なぜさまざまな文化的起源ともいうべき中世が「暗黒時代」とされたのでしょうか。

史学史的にいえば、原勝郎の『日本中世史』に至るまでの時代における中世の位置づけ、ということですね。これは西洋史における中世の位置づけに多分に影響されているのですが、奈良・平安を古典古代と位置づけ、その王朝文化に正統的な価値付けを与えたとき…

津田左右吉の『古事記』『日本書紀』批判は、逆に天皇の正統性を明確にするためのものだったという学説を聞いたことがあります。先生はどうお考えですか?

小路田泰直説でしょうか。確かに戦後の津田は、中国を蔑視しつつ、天皇制擁護・反アジア主義・反マルクス主義の立場をとっていますので、転向者であるとか、あるいは一貫したナショナリストであったとも位置づけられています。しかし問題は、彼が方法・思想…

丸山作楽は、「史学協会設立ノ主旨」において、「海外の学者からも日本語が素晴らしいと称賛されている」と述べています。それは本当でしょうか。

ヨーロッパでのジャポニズム、日本研究は本格的に始まりつつありましたが、やはりマイナーな文化であったことは確かで、丸山の言動には大きな誇張があると考えられます。世界の一般的な評価というより、近代日本人としての自負と理解した方がいいでしょう。

キリスト教は、イエスが神の言葉を告げたといわれているが、神道の場合、誰がイエスの役割を担ったのだろうか?

上で述べましたように、神道には教義がありませんので、正確にはイエスに相当する立場の人間はいません。創唱者も存在しないわけです。しかし、神の言葉を語る人、という意味では、各地の神社やその周辺に、シャーマン的な役割を果たしていた人々がいました…

先生は、黄泉国と根の堅洲国は同じものとお考えですか。「スサノヲのいる黄泉国が…」との発言があったので、気になってしまいました。

以前に論文に書いたことがありますので、詳しくはそちらを探してみてください。簡単に述べますと、『古事記』や『日本書紀』のなかには、4〜5世紀頃に紀水門がヤマト王権の外港だった頃、他界として設定されていた紀伊国のイメージと、6世紀以降に難波が…

当時の人々は、天皇は神であるといわれることに、何も不自然さを感じなかったのでしょうか。

当時は、突出した能力を持ちながら非業の死を遂げた人々を神として崇めたり、あるいは特別な能力を持った人々を生き神として信仰する文化も存在しましたので、国家によって不可侵の存在として喧伝された天皇を「神」と認識することも、必ずしも不自然ではな…

国家神道とは本物の神道ではなく、ただ国民を統率するために神道を利用した政策と解釈したのですが、その理解で正しいでしょうか?

本物/偽物という価値付けが適切かどうかは分かりませんが、講義で縷々述べたとおり、これまでの神道の文脈を大いに逸脱し、ある意味ではその伝統を破壊しながら成立したイデオロギーであったことは確かです。神道家のなかには、未だに国家神道的思想を奉じ…

神道と、宗教として体系化される以前の神祇信仰とは、具体的に何が違うのでしょうか?

神祇信仰は、各地域によって特色ある自然信仰、氏族の祖先信仰、外国から輸入され定着した新しい神々などが、雑多に共生しながら崇拝されている信仰形態でした。古代国家としては、それらの崇拝の形式、祭祀の形式を統一しようとしましたが、現実には大きな…

初歩的なところに戻ってしまうのですが、なぜ皇国史観を作る必要があったのか分からなくなってしまいました。大まかな流れを整理していただけるとありがたいです。

冒頭にお話ししたように、国民国家はその運営のため、国民を結集させる何らかの物語を必要とします。その典型的なものが歴史で、いわゆるナショナル・ヒストリーということになります(アメリカのように現実に歴史の浅い国では、建国の理想・精神などがそう…

現代は多数の宗教が存在しています。それらが平和的に共存するには何が必要と思いますか?

宗教とは、まず第一に己がいかに救済されるかによって選択され、その救済を通じて社会へ貢献しようとするものでなくてはなりません。後者は救済された自己による報恩の貢献であって、自己の主張の押しつけであってはならない。自分自身がそうであったように…

最近になって、ネトウヨに代表されるような社会の右傾化、都合の良い歴史解釈が目立ちますが、その要因は何だとお考えですか?歴史学者として、第二次世界大戦前と似たものを感じませんか?

歴史学者としては、「歴史は繰り返す」とは考えません。歴史は過去そのものとは異なりますし、第二次世界大戦以前と現在の世界情勢にも大きな相違があるからです。ただし、国家が国民に対して及ぼす権力を強化しようとしていることや、しかしその方法が極め…

明治政府が祭政一致を目指したとき、また神道事務局神殿論争の展開と終息に際して、一般民衆からの反発などはなかったのでしょうか(広い支持層を持っていた出雲派は、そう簡単に衰退してしまったのだろうか?)。国民は神道に大きな関心を寄せていたのでしょうか? / 出雲派や平田派の争いが、戦争にまで発展しなかったのはなぜでしょうか。

もちろん、社会は大混乱に陥っていました。自由民権運動の展開と国会開設へ至る時代的流れと、この祭神論争の終結までの経過がほぼ時期的に重なっているのは、両者が無関係ではなかったことを意味しています。しかし、議論の中心にあった千家尊福は、大日本…

『日本書紀』のほんの一部にしか書かれていない神話を無理矢理正当なものとしたせいで、日本人が本当の神話を忘れてしまい、宗教にあまり関心を示さなくなったのでしょうか。

まず、「本当の神話」などあるのか、ということを考えておかねばなりません。2回目くらいにもお話ししましたが、『古事記』や『日本書紀』自体、内廷や国家の目的のために政治的に編纂した書物であって、古代社会にはより多様な神話世界が、それぞれの地域…

天皇家にとって、アマテラス以外の神はどうでもよい存在なのでしょうか。

天皇家は神道の最高司祭ですから、天皇家にとって、アマテラス以外の神がどうでもよいわけではありません。あくまで祖先神であることから、丁重に奉祀しているだけです。ただし、例えば古代においては、伊勢神宮とその他の神社の格差は歴然としていました。…

顕幽論の生まれた背景や理由を具体的に教えてください。

アニミズムに近い形態に留まり体系化された思想・世界観・教義などを持たなかった神祇信仰は、中世以降、仏教や儒教の影響を受け、その教説や枠組みを借りながら次第に宗教としての体裁を整えてゆく。これが、「神道」と呼ばれるものです。仏教が釈迦の教え…

平田派、津和野派、薩摩派は、それぞれどのような考え方に基づいて最高神を決めているのでしょうか。

平田派は、これまでも述べてきたように幽冥界の議論に基づいています。天皇が支配する現実世界に対して、使者の赴く神霊の世界=幽冥界はオホクニヌシが統治する。それは、オホクニヌシが国つ神の代表として大地の正統な支配者であり、また冥府の統括者スサ…

神道というひとつの宗教のなかにも幾つかの派があり、重んじる神々が違うことから、「神道」にまとめてしまってもよいのかという疑問が生じました。キリスト教のプロテスタントやカトリックの問題と似ていますか?

日本の現代人にとってもっと身近なのは、やはり仏教の形態でしょう。仏教も、ゴーダマ・シッダルダの説いた教えを基盤にしつつ、本当にたくさんの宗派へ枝分かれしてゆきます。分派のもとになっているのは、どの経典を自らが救済される方法と採るかであって…

平田派や出雲派は、アマテラスや造化三神を「認めない」わけではない、しかしそこにオホクニヌシも加えてほしいという主張だったのでしょうか。 / 神道は多神教といわれますが、最高神を定めたがる点と矛盾するように思われます。

平田国学の主張は、とにかく幽冥界の問題と密接に結びついています。造化三神は世界を生成するエネルギーであり、アマテラスは高天の原を統括する存在だけれども、地上と密接に関わる幽冥界の支配者はオホクニヌシである。大地のうえに生きる人間は、まずこ…

『古事記』や『日本書紀』のなかに、アマテラスの性別を示す記述はあるのでしょうか。 / なぜアマテラスには、オホヒルメムチという別名があるのですか。

『古事記』にははっきり女神であることを明記してはいませんが、スサノヲが高天の原に上ってきたのを男装の軍人の姿で迎える(すなわち男装をする前は女性の姿であった)など、女性であることを類推させる場面はあります。『日本書紀』には、オホヒルメムチ…

オホクニヌシが地上の支配者となるまでのエピソードは、どのように創られたのですか。

『古事記』には、オホクニヌシにまつわる一大叙事詩が収録されていますが、彼が幾つもの名前をもって記されているエピソード群は、もともと異なる神々の物語であったものを、ひとつに統合したのではないかと考えられています。また、核となるオホナムヂ→オホ…

『古事記』に登場する神や人は、どこから実在するものなのでしょうか?

神々の言動に何らかに歴史的事実が反映されている可能性はありますが、それらはあくまで神話であって、実際にあったこととは考えられていません。多くは王族や氏族の来歴、他に比した優越性を喧伝する始祖伝承であったり、物事の起源を説明するために創られ…