全学共通日本史(15秋)
もちろん構いません。お任せします。
戦前・戦中の皇国史観について、パラダイム論でみることはできません。なぜなら、昭和20年代頃までの認識と現在の認識とでは、パラダイム・シフトが起きるほどの変化はなく、むしろ連続性の方が大きいからです。皇国史観自体も、現時点で種々の形で残存して…
初回の授業でもある程度お話ししましたが、現在、中高の教員の置かれている情況は苛酷です。授業のほかに、部活指導を含む煩瑣な校務があり、残業に次ぐ残業、帰宅してからも仕事の続きで、なかなか休む暇もないと思います。そのうえ、主体的に授業の取り組…
歴史学者がふつう「古代」というと、考古でいう縄文・弥生は指さないことが多いのです。しかし、縄文から歴史時代までは1万年という開きがありますので、死や喪葬に対するものの考え方も変わってきます。死と再生のサイクルを信仰していた縄文の人々にとっ…
そうはいっていません。レジュメもよく確認していただきたいのですが、私の考えではなく、あくまで石母田正の思想です。石母田はマルクス主義者ですので、彼の考え方としては、貴族文化はあくまで民衆の収奪によって成り立っている表面的な文化に過ぎず、煌…
『詳説日本史B』の方でも、遣唐使廃止が国風文化を作ったとは書いていません。論旨の順番から、そのような誤解を生みやすくなってしまっているだけです。教科書としては、だんだんと学界の認識に近い内容に変わってきてはいます。ただし、解説本である『詳…
これまでにも事例を挙げてお話をしてきましたが、愛国心を持つことは「当たり前のこと」ではありません。それは、国民国家という一時的な統治システムが、自己を維持するために国民を訓育してゆこうとする過程で作られてゆくものに過ぎません。前近代にあっ…
右寄りというより、やはり国家が国民を生産するための装置ですので、その同一性を相対化するような要素はできるだけ排除したい、という意識はあるのでしょう。また、ガイダンスのときにもお話ししたように、現政権は戦後政治のなかでも卓越して国権を強化す…
ある意味ではそうだと思います。東歌など、音韻に当時の東国の方言が反映されていますから、その在地性、史料的価値は極めて高いものです。しかし、古代王権の芸能に対するものの見方を勘案すると、ちょっと事情は違ってきます。すなわち、『万葉集』の編纂…
例えば『蜻蛉日記』『源氏物語』などのなかに、中央貴族たちの宇治における別荘で、周囲の山川で生活する「山がつ」と呼ばれる人々が、別荘に奉仕して周辺の産物を届けたり、自然物や生業に関する情報を提供したりするシーンがみられます。また、中世後期の…
日本だけ、ということはありません。例えば中国では、古代から連綿と中華思想が機能しています。これは、中国王朝の持つ文化こそが世界の中心に位置する重要なもので、文化を持たない周辺の蛮族へも普及させ、これを訓育してゆかなければならないとの考え方…
例えば王朝文化全盛期の平安貴族たちが信じていたのは、世俗的な栄達が往生の形式にも直結するという発想です。すなわち、生前絢爛たる寺院建築を建造したり、寺院や僧侶に寄進し仏教の保護に努めた人間は、死後もよりよい形での成仏ができる。例えば、良源…
これも、その意味をハッキリ定義して用いないと誤解を招きますね。皆さんのコメントにあったように、中国や朝鮮の影響を受けていないという意味なら、国風文化を列島「独自」の文化とするのは間違いです。しかし、それらと交渉しつつオリジナルとは異なる形…
王朝国家体制と軌を一にしているとはいわれています。すなわち、ちょうど菅原道真による寛平の改革以降、例えば税制についても、これまで人民に課していた税を土地に課すという大転換をなし、種々の制度が大きく変革されてゆきます。その結果として王権や有…
内閣府の特別機関として日本学術会議があり、その第一部が人文科学で、科学の発達と社会への還元の問題について議論を重ね、内閣府へ答申を出すことも行っています。日本史の関連でいえば、これまで中高の歴史教育の思考型への転換、教科書の件についても答…
私の専攻する環境文化史の観点からいえば、人間の営みのすべてが文化です。まったく社会に一般化していないような、個人が孤立して持つものも文化です。文化は、個、家族や村落、地域、国家といった大小の集団などによって、それぞれ特徴(ある程度の共通性…
列島に住む人々は、おしなべて歴史認識が希薄です。重要な出来事も、ちょっとした弾みで忘却してしまう。その意味では、もともと「だめだった」のだということもできるでしょう。
やはり、古代以来の伝統を背負っているからでしょう。いわゆる『古事記』や『日本書紀』の神々は、畿内豪族の信仰する神格を中心に、同盟関係にあった各地方豪族の神々、あるいは中国や朝鮮から渡来してきた神々の物語が収められています。しかし、7世紀後…
神道政治家連盟という組織がありますが、神道云々以前に、保守のなかでも右翼的傾向の強い人々が集う場になっています。常に問題視される「日本会議」とも構成員が多く重複しているので、注意が必要でしょう。
「力を発揮する」というあり方は、ふと気がつくと国家目的のために「利用されていた」、なんてことになりかねません。専門研究者の役割のひとつは、自分の学問を武器として、常に権力のありようを監視することですね。
エリートたちみなナショナリストである、ということは間違っていません。しかし、彼らにも教育を受け背負ってきた伝統、ものの考え方や感じ方がありますので、「何をもって国益とするか」というその内容が相互に異なるわけです。維新政府は、天皇主義に貫か…
宗教の定義としては、教義・儀礼・教団などの要素を完備し、一定の道徳的・倫理的教えが祭儀などのセレモニーを通じて表現され、それを共有し信仰する社会集団がある、それらを継続的に維持してゆくための組織・施設がある、といった条件が挙げられます。神…
気をつけて聞いていただきたいのですが、そんなことは一言もいっていません。社会福祉は社会主義の考え方であり、資本主義、とくに現在アメリカが盛んに喧伝している新自由主義の発想にはない。多くの現代国家がそうしたセーフティネットを取り入れているの…
ワニについては、神話の南方系要素が残存したものとする見解、地域的呼称でサメを指すとする見解、想像上の動物であるとする見解などが出ています。実体はいかなるものか同定不明ですが、『古事記』や『書紀』の神話・伝承のなかにあって、海を代表する動物…
驚くかもしれませんが、南京大虐殺について、歴史学界ではほぼ議論に決着がついたと認識しています。南京大虐殺はあったとするのが定説であり、否定を唱える人々は極めて限られた、政治的に偏った思想を持つ人々だけです。彼らの掲げる論拠や資料は、学界で…
実証主義は、哲学的認識論のレベルでいえば、実は経験論なのです。確かに、史料の読み方や判断の仕方には基本的なセオリーがありますが、重要なのは「経験」。すなわち、どれだけたくさんの史料を読んでいるか、どれだけたくさんの参照材料、判断材料がある…
例えば、高校の日本史教科書でもわずかながら扱われる崇仏論争。一般には、百済からの仏教伝来をめぐって、その崇拝の可否を蘇我氏と物部氏が争い、最終的に前者が勝利して奉仏へ向かうとのストーリーですが、『書紀』が漢籍や仏典を援用して築き上げた、ほ…
ランケにおける神は、歴史の巨大な展開を考察したとき、そのうねりの原動力として〈神〉という言葉を使わざるをえなかったのだと思います。現在の宇宙物理学者でも、例えば「ビッグバンがなぜ起こったのか」という問いに対し、「神の御業としかいえない」と…
神話に関する文献で、イザナキを主神としているものはありません。イザナキがアマテラスを生むのは『古事記』ですが、そもそも古代においては、『古事記』は『日本書紀』を読むための副読本、参考書程度の意味しかありませんでした。また、イザナキがすべて…
確かに、批判の契機を作ったのは田口ですが、やはり久米論文の内容に、神道家や一般の人々の目に触れたときに問題となる要素は多かったのだ、と思われます。『史学雑誌』に掲載されたときに別段問題化されなかったのは、彼らの研究が歴史学者以外の目に触れ…