全学共通日本史(15秋)

近代歴史学の実証主義において、正典的史料として『増鏡』や『吾妻鏡』が重視されたとありましたが、他にはどのようなものが正典として扱われたのでしょうか。

史書の体裁を持つものがまずカノンになるというのは、いわゆる宗教的目的や娯楽の意味を持って芸能的に発展した物語より、客観的な意味づけが強いという常識的判断からでした。当時の国家主義的なものの考え方において、ときの政府なり何なりが編纂機関を組…

ランケは、客観的連関を神の力として歴史の背後に想定しているとありましたが、なぜランケは事実が大事という考え方なのに、証明もできない神を信じていたのか疑問に思いました。

やはり、それは前近代的要素なのだと考えるしかないでしょう。現代の価値観や枠組みで、切り刻んでも意味がないものです。ランケにとっては、個々の人間の力を超えて大きく作用してゆく時代のうねりが、「神」という言葉以外では説明できなかったのでしょう…

現在の歴史学の考え方の主流は実証主義的な考え方であると思うのですが、皇国史観とマルクス主義的な見方をするグループが今も存在するのでしょうか。

現在も基本は実証主義ですが、上に述べたように種々の問題点があるため、さまざまに修正されながら用いられています。いまの皆さんからすると驚くべきことかもしれませんが、1980年代までは、人文・社会系の多くの学問ではマルクス主義的な考え方が主流にな…

実証主義歴史学は、史料に基づいて歴史のありのままの姿を叙述しようとする。自分がそこがそもそも間違っているのではないかと思う。史料に記されていることは、常にすべて正しいとは限らない。また、史料に記されていることが、歴史のすべてであるはずはないからである。

そのとおりですね。最初の授業でお話ししたように、過去そのものと歴史を混同してはいけません。「ありのままの過去」を歴史として叙述することなど不可能であって、それを可能だと考えた実証主義=本質主義には、そもそも大きな限界と問題点が内包されてい…

先生がシリョウと説明するとき、その表記は「史料」ですか、それとも「資料」ですか。

配付資料でおおむね分かっていただけると思うのですが、「史料」の意味で用いていることが多いですね。史料とはhistorical materialsで、歴史を構築・叙述するために用いる材料です。過去の時代のなかで、何ものかによって「書かれたもの」が中心です。

学問や研究に、必ずしも目的や理由付けは必要ないと思うのですが、歴史を研究する先生はどうお考えですか。

ぼくも理想的には、「そのとおり!」と思います。目的や理由付けは、必ずその時代や社会に束縛されてしまうので、あまりそれを重視して研究をしすぎると、時代や社会の風潮が変わったときに、まったく役に立たないものになってしまいます。しかし、学問とし…

授業の理解をリアクション・ペーパーに書く際、1つのトピックを取り上げて書いてもいいのか、それとも全体の授業を通してざっと書くべきなのか、どちらの方が適していますか。

べつだん、どちらの方が評価が高く、どちらの方が評価が低い、ということはありません。1つのトピックしか書かれていなくても、それが講義の内容、中核的部分を精確に捉え、深く論評していれば高く評価します。また逆に、講義の内容を広く説明していても、…

『神皇正統記』についてですが、北畠親房が天皇を中心に歴史を組み換えたと仰っていましたが、それは紀伝体ということでしょうか。

紀伝体という形式もそうなのですが、さらに重要なのはその内容です。ニニギが、いわゆる天壌無窮の詔勅をアマテラスから得て、それを正当性/正統性の根拠に地上支配を行うという発想は、この書物においてできてきます。『古事記』にはそのことは書かれてい…

「鎖国中の文化や国風文化も大陸の影響を受けている」という言葉に疑問を持ちました。とくに国風文化は、影響を受けていた前の時代の文化を国内で発展させたものであるため、オリジナルというべきなのでは?

授業でもお話ししましたが、遣唐使の停止後も諸外国との交易は続いており、多くの舶来の品が平安京にもたらされていいました。国風文化論を支える多くの文学作品、美術作品には、それらがしっかりと描かれています。一方、学問的な部分では、平安後期に至る…

聖徳太子は国家的目的のために歪められ、一般常識として定着してしまった珍しいケースですが、国内外問わず、他にもそのような人物はいるでしょうか。 / 聖徳太子だといわれる肖像画も、その存在を確固たるものとするために伝えられてきたのでしょうか。

たくさんいると思います。例えば足利尊氏など、明治国家になってから「逆賊」のイメージを付与され、まったく位置づけが変わってしまった。戦後は回復しましたが、まだマイナスイメージを払拭できないところがあります。戦前/戦後では、史料の解釈の仕方自…

どのような過程を経て訛のある言葉ができたのでしょうか。 / 方言とは、いつ、そもそも何のために生まれたのでしょうか。

標準語と方言とを対立的に捉えているのかもしれませんが、地域環境に根ざした言葉が発生するというのは自然なことです。地球上で、いくつもの言語体系があるのと同じです。むしろ、日本語、英語、フランス語と、近代国家の枠組みで言葉を区切って、均質化し…

明治維新になって標準語が教科書などで定められてきた、とありましたが、はっきりとした標準語の成立は、一日で変化・決定したものではないのではないでしょうか。

いや、標準語の成立の話はしていないと思うのですが…、ナショナル・ヒストリーのアナロジーとして『国語元年』についてお話ししただけですね。標準語の成立については、ご指摘のとおりと思います。ただし、これから順々に進めてゆきますが、ナショナル・ヒス…

近代歴史学の特徴として「厳密な文献考証」が挙げられていましたが、逆にそれがないものはあるのでしょうか。

民間史学には、「厳密な文献交渉」はありません。現在でも、企業が再生産するステレオタイプの日本史イメージ、歴史関係雑誌や映画、ドラマ、マンガの物語りには、そもそも「文献交渉」を必要としていないものも存在します。

ナショナル・ヒストリーの形成に携わったのは、文明・考証・民間の3つの史学とのことですが、中心は文明史学でしょうか。 / 古い文献も主観的なものに過ぎないと仰っていましたが、この3つの学派の描く歴史も、それぞれ恣意的なものだったのでしょうか。

これからお話ししてゆきますが、まず、これらの3学派が国家から命令を受けて作業に従事したわけでも、彼らがそれぞれ「○○学派」と明確に意識し、自他を区別していたわけでもないことに注意が必要です。彼らはそれぞれ、近代国家の建設に直面して歴史叙述の…

近代以前では統一的な国家像は求められていなかったということが、具体的にどういうことなのか分かりませんでした。 / 江戸幕府は、自分の立場を正当化するような歴史叙述を行わなかったのでしょうか。

江戸幕府が、歴史叙述を行わなかったわけではありません。水戸光圀の『大日本史』との関係でいえば、それ以前に林羅山親子によって、儒教・漢学の立場から書かれた『本朝通鑑』が存在します。概ね鎌倉幕府以来、「幕府」の名のもとになされる歴史叙述は、天…

歴史というのは勝者の歴史である、という定義をよく聞きます。ナショナル・ヒストリーは国家を正当化するためのものと出てきましたが、それは勝者が自分たちの正しさを証明するということでしょうか。

確かに、ナショナル・ヒストリーにはそうした面が強いですね。現在の教科書記述は、それでも客観性が高いですが、たとえば明治期であれば、いかに江戸幕府を問題視し王朝復古を正当化するかが鍵となる。それを、「進歩」という言葉で表現しなければならない…

大きな枠組みのナショナル・ヒストリーより、小さな枠組みの地域史の方が、自分たちの生活に役立つような気がします。そのような歴史は、ふつう、歴史に関心のない人は知ることがないと思うのですが、一般に知られるようにするためにはどうすればいいでしょうか。

いわゆる郷土史、地方史、地域史は、県や市の行政単位でも研究と編纂が進められ、各自治体史・史料集が完成しています。地域の博物館、歴史資料館などでも、各地域固有の歴史のあり方を発信しており、学校の授業や市民活動にも取り入られているはずです。一…

歴史的事実が検証され、教科書の記述が改められるのは有意義と思いますが、世代によって歴史的知識に差異が生じてしまうことに、何か問題はないのでしょうか。

現政権の意向とは異なる形で、これまでも歴史は書き換えられてきています。それまで教育されてきた内容と現在の内容が大きく変わってしまったら、それは、なぜ変更になったかを説明すれば済むことです。すなわち、新しい考古学的な発見があった、従来の解釈…

国史と西洋史と東洋史があるのは、日本と韓国のみとの話でしたが、それはその2ヶ国がグローバルに渡り合うため、それらの国々の過去を学ぶことで対等につきあおうとする考えがあったのではないでしょうか。

その可能性も全否定はできませんが、とりあえず形式的には、韓国がこのような区分を用いているのは、日本の植民地統治時代に近代歴史学が始動したためです。もちろん、中国的文化圏のなかでその恩恵に浴しつつ、中国王朝との間に緊張感を抱えながら独自の国…

文明開化に際し、多くの歴史観が出てきたところで、民間史学が、文学・芸能が未分化であったにもかかわらず芸能の方のみを用いてアカデミズムを批判したということが、いまいちよく分かりませんでした。

あれ、そういう言い方をしましたか? これは民間史学の全体的な考え方で、娯楽と教訓とが渾然一体となった立場から、無味乾燥な事実だけを追い求め、民間史学のようなあり方を「荒唐無稽」と否定するアカデミズムを、揶揄し批判したのだということです。

文明開化当時、国の意図に沿わない歴史書が世に拡散されたときなど、それを書いた人が社会的制圧や国家の弾圧に遭ったということはなかったのでしょうか。

今日の授業でも扱った内容ですが、後々、社会的な批判を受けて敗北する、国家的弾圧を受ける、という事例が増えてゆきます。いわゆる思想統制の時代に入ってゆくわけですが、明治の初年は、まだ百花繚乱の多様性を保っていたといえそうです。幕府時代も、時…

ナショナル・ヒストリーの形成によって、長い期間にわたって受け継がれた各地域の価値観が否定されてゆくとのことですが、実際にそう簡単に人々の心性が変わってしまうものなのでしょうか。

確かに、長年の間強固に変わらない認識も存在するのですが、一方で、つい数年前、数十年前まで一般的だった考え方、心性、感性が、まったく更新されてしまうということも存在するのです。例えば、東日本大震災で多くの死者を出した東北地方ですが、当時、火…

ナショナル・ヒストリーと東アジアに関してですが、EUのフランスとドイツとの共同研究で歴史教科書が作られたと聞きました。日中韓でも同じようなものが作れるでしょうか?

授業でもお話ししたように、その努力は長い期間にわたって続けられています。しかし国民感情の問題、それを煽って相互の対立を演出しようとする政府、一部メディアの意図によって、さまざまに阻害があり、なかなか一般化できないのも事実です。場合によって…

ナショナル・ヒストリーを自国に有利に書く、ということは、日本以外の国でもあるのではないでしょうか。現代において歴史をきちんと伝えたり記述できている国は、実際にあるのでしょうか?

確かに、ナショナル・ヒストリーが国民国家の統治ツールである限り、他の国においても同様の問題はあります。しかし、例えばドイツのように負の歴史と正面から相対してみせる国(もちろん、そこにも政治的な意図はあるわけですが)や、教科書を鵜呑みにしな…

副読本について、検定によって偏った教科書とのバランスを保つ役割を果たすことができるのではということですが、中高生にまったく考えの違う日本史に触れさせて混乱させてしまったりはしないのでしょうか。

確かに、混乱は生じるかもしれません。しかしまず、歴史が単一の真理ではないということを理解してもらえば、教科書を国の定める事実、副読本を学界の提起する定説として、併せて考える材料にしてゆくことは可能ではないでしょうか。いわゆる記憶型ではなく…

史跡・博物館見学は、いつ観に行ったものまで対象になりますか?

秋学期開始以降ですね。いま方法を考えているところですが、レポートとともに、実際に行ったという証拠を提出して貰おうと思っています。チケットの半券、もしくは証拠写真など。当日書いて貰うペーパーにホチキス止めするなどして、提出してもらえればいい…

帰国子女で、日本史を学んだことがありません。大丈夫でしょうか?

授業でも繰り返し述べていますが、既成の日本史の知識を問うような授業ではありません。しかし、その知識が前提にないと理解の難しい話はあるかもしれませんので、適宜予習や復習をしてみてください。

領土問題について、歴史学が寄与しうることとは何でしょうか?

各国が政治的主張を繰り返し、歴史学の成果を利用しようとするなかで、その動きに左右されず、事実を積み上げてゆくことこそ大切です。さらに学問的な言い方をすれば、領土や国境など自明ではありえず、「固有の領土」など世界のどこにも存在しないのです。…

慰安婦問題についてですが、あった/ないでいえばあったと思うのですが、韓国側が主張する被害者の数も多すぎると思います。外交のかけひきの道具になることもあると思うのですが、歴史学者はどのような態度をとればいいとお考えですか?

もちろん、細かな点については、実際の被害者の証言、文書記録などの証拠を積み上げ、政治的な介入を排して考えてゆくこと、議論してゆくことが重要です。しかし注意を促しておきたいのは、よく慰安婦問題を外交問題と理解するひとが多いのですが、これは人…

裁判では口頭証拠より契約書が優先されますが、歴史学ではどのような扱いになっていますか?

歴史学はもともと文書を扱う学問でしたので、文書主義、いうなれば口頭証拠より契約書を重視する方向が強かったですね。しかし、史料批判という「書かれたもの」を検証してゆく方法が発展していますので、無条件に文書を重視するわけでもありません。人間は…