全学共通日本史(17秋)

神護寺に伝わる平重盛像が、足利尊氏かもしれないとされるのはなぜでしょうか?

これについては論旨が多岐にわたり、議論が繰り返されていますが、概ね新しい見解が定着しつつあるようです。新説は、数年前まで上智で教鞭を執っていた米倉迪夫さん、東大史料編纂所の所長も務めた黒田日出男さんが主張されたもので、神護寺三像を源頼朝・…

人間関係で政治史をみるのはナンセンスだとの話がありましたが、排斥事件や人事の史料をみるに当たって、人間関係はやはり重要な判断材料になるのではありませんか?

そうですね、確かに人間関係も大事なファクターです。授業での話し方が悪くて誤解を招いたかもしれませんが、人間関係のみを解釈の中心に置き政治史を考えることが、意味を持たなくなってきているということです。マルクスの思想を思い出していただきたいの…

天皇が徐々に人の目に触れなくなった結果、その神聖性が強まったという解釈で合っているでしょうか? / 天皇を描くタブーが解消されたのはいつのことですか?

そうですね、これは幼帝の出現によって天皇が政務の場から遠離ってゆくこととも関係があるのですが、地方への行幸はもちろん、あまり公の場へ姿を現さなくなってゆき、内裏の奥へ隠れた/隠された存在となってゆくわけです。その過程で、「みえない」ことに…

中国との交易によって、さまざまな病気も入って来たのではないかと思います。交易中断などの措置は採られなかったのでしょうか?

例えば、天平9年の天然痘大流行は、遣新羅使が感染して持ち込んだものであることが分かっています。奈良時代の正史『続日本紀』同年正月辛丑条によれば、遣新羅大使の阿倍継麻呂は対馬で死亡、副使の大伴三中は病のため京に入ることができなかった、とあり…

遣唐使の停止によって、唐物は朝貢品ではなくなり、単なる輸入品として、市場に出回ったりはしなかったのでしょうか?

講義でも説明しましたが、朝貢品でなくとも、外国との交易品については、朝廷・官司が優先的に入手できる決まりになっています。市の機能について規定している関市令では、外国との交易について、官司が交易する前に私人が交易することを禁じています。その…

遣唐使が停止されても中国の文物は入って来たとのことですが、それ以前は、やはり使者を派遣しないと唐物は輸入できなかったのでしょうか?

外交使節が商人を伴う形で行われる交易、あるいは使節自身が交易の役割も兼ねる場合が一般的でした。とくに統一新羅や渤海との外交などは、一方では政治的緊張により、一方では日本の意向が達せられないことによって、交易中心のものになってゆきます。例え…

日本の国風文化が中国の影響下にあるということは、中国の歴史教育ではどのように扱われているのでしょうか?

中国の歴史教科書における日本の記述は、やはり近現代史が中心です。国風文化などの記述については、ほとんどありません。

国風文化の著名なものとして寝殿造りがあるが、そこにはどのような中国的技術があるのか?

難しいですね。そもそもの建築様式の問題からいえば、まず神社に残るような列島古来の建築様式に対して、寺院にみるような瓦葺きの宮殿的様式は、中国の宮殿建築を模して作られたものです。中国の都城形式を採用して作られた、藤原京、平城京、長岡京、平安…

この頃の唐物の陶磁器の文化は、のちの天目茶碗などと関わりがあるのでしょうか。

天目茶碗は、中国浙江省の天目山周辺で作られていた茶碗で、入宋する禅僧が喫茶の文化とともに持ち帰ったため、喫茶の風習とともに日本に広がってゆきます。主に、鎌倉時代以降のことです。平安時代の唐物として主なものは、北方陝西省の耀州窯、南方浙江省…

唐物の件ですが、楽器に関しては材料が輸入され日本で作られたのか、それとも楽器自体が、もともと唐や外国にあったのか気になります。琵琶は輸入品ですが、いわゆる雅楽に使うものや琴はどうでしょうか。

雅楽は本来中国の宮廷音楽ですので、それに用いられる楽器は中国起源のものです。日本古来のものとしては和琴があり、柱を使って音程を変える点など箏に近い構造を持っていますが、弥生時代の遺跡から発掘され、神降ろしの道具として使用されたことが想定さ…

唐物で日本に輸入されてきた物は、日本でこれが欲しいと指定した物なのでしょうか。そもそも日本に存在しないものとすれば、なぜ日本側がそれを知っていたのか疑問です。

奈良時代にも、中国や朝鮮から外交使節が訪れ、彼らが帯同した商人らによって、朝廷や有力貴族との交易が行われていました。その頃から中心は香薬で、唐物の品目の受容はあまり変わっていないかもしれません。商人からみれば、朝鮮や中国の高級な物品、そし…

『新猿楽記』に登場する「商人の主領」は、民間の商人なのでしょうか?

商人の統領である八郎真人は、右衛門尉の8番目の息子とされています。右衛門府の大尉は従六位上、少尉は正七位下の相当官なので、下級貴族の家ということになるでしょう。子供は貴族として官職を得て生活してゆくことができず、それゆえにみな書家、画師、…

文化を位置づけるには、同時代のうち先進的なものに目を向けるべきではないだろうか。そういう意味では、大和絵や王朝文学、宗教などをまとめて国風であると指すのは、間違いだとは思われない。

この時代の文化をどのように呼ぶかはあらためて考えなければなりませんが、問題は、前回お話ししたような文脈で「国風文化」という用語が成り立ち、そのために誤解が発生しているということです。それを、「間違いだと思われない」といっていたのでは、何の…

唐物交易は、国家が主体の朝貢貿易であったという理解でよろしいでしょうか?

朝貢交易は、正式に宗主国へ使節を派遣し、種々の物品を貢納することにより、それに倍する下賜品を得ることを意味します。遣唐使途絶以降の唐物交易は、商人がそうした役割を務めることはあったとはいえ、正式な国交のもとに外交使節が往来していたわけでは…

宇多天皇の「猫かわいがり」が面白かったです。該当する史料を載せてください。また、唐猫は現在のイエネコと同種でしょうか。

まず唐猫ですが、和猫が尻尾が短く曲がっているのに対し、下記の文献にもあるとおり、長い尾が特徴です。現代の分布調査でも、尾の長い唐猫は京都を中心に分布し、その他の地域には尾の短い和猫が多く分布していることが分かっています。しかし、実際のとこ…

遣唐使任命について、藤原時平が道真を排除するために補任したとの説を聞いたことがあります。中国情勢だけでなく、日本国内の政局を意識した論があまりないことに違和感を覚えました。先生は、遣唐使廃止の原因に権力闘争が絡んでいたとお考えですか。

宇多〜醍醐朝の朝廷では、変転する社会に対応する新制度を創出すべく、寛平・延喜の国政改革が進行していました。具体的には、機能しなくなった戸籍・班田を基礎とする人頭税を改め、税目を定数化・変成替えして田率賦課する土地税に基づく、王朝国家体制へ…

遣唐使派遣中止の実相がよく反映していないとのことですが、道真の建議にある僧中灌の報告によれば、そのプロセスは容易に想像できるのではないでしょうか。

問題は、ある程度信頼できる中止の史料が、『菅家文草』収録の建議書しか見出されていない点です。道真は渡航の不安のほか、唐の政治的・社会的混乱を挙げて、派遣を公卿で審議するよう提案しているのですが、残念なことに、彼の建議が取り上げられて朝廷で…

国風文化というタームの成り立ちには、より誇らしい国家イメージを教育したい人々の願望がみてとれるが、そう考えると、主観を重要視する歴史学は、書物は徹底分析する実証主義歴史学より、事実を歪ませてしまう可能性があるのではないか。

前回も話をしましたが、主観を許容する歴史学も、「何でもいってよい」わけではありません。史料を通じて常に過去に方向付けられ、他の研究者や社会に開かれるなかで、常に反証の提起にさらされます。歴史学者はそのなかで、自らの主観に自覚的になってゆく…

自身の都合のよいように事実を歪めることは咎められるべきであると思うが、もしこうやって授業で教えてうただいているように事実が判明しているなら、外交の手段として歴史認識をある程度操作するのも致し方ないのでは?とも思った。慰安婦問題など正面から向き合わなければならないこともあるが、現実問題としてそうした操作を一切なしにしたら、日本はどうなってしまうのだろう…と思いました。先生はどうお考えになりますか?

事実を歪曲し、あるいは隠蔽してなされる関係は、決して友好的なものにはなりえないと思います。人と人の場合も、国と国との場合も同じです。相手ももし事実を歪曲・隠蔽していれば、お互い欺し合いになるばかりか、生産的な意見交換とは無縁のところで打算…

『文明の生態史観』などを通じ、戦後に脱亜的意識が勃興してくるのが驚きでした。それともこの風潮は、明治維新からあって、言葉として残されたのが敗戦後ということでしょうか? / 『文明の生態史観』は、戦勝国であるアメリカを完全に無視していると思うのですが、アメリカから批判はなかったのでしょうか。

『文明の生態史観』の世界図にアメリカが入っていないのは、アメリカ文明=西ヨーロッパ文明との認識があるためです。アメリカにおいて支配階級にあった白人たちも同様の認識を持っていたため、その点自体にアメリカとしての批判が出ることはありませんでし…

自分は女性が権利を主張することは間違っていないと思う反面、今の世の中はそれを押し出しすぎているのではないかと思います。これまで男性がしてきたこと、積み上げてきたことを蔑ろにして、女性差別だの何だのというのはちょっと違うのかなと思います。

まず、この社会や文化を男性が創ってきた、積み上げてきたと考えること自体が間違いです。あくまで男性と女性が協力して創り上げてきたのであり、もし男性中心に構築されてきた部分があるとすれば、それは女性を排除してきたからに他なりません。女性が権利…

「言葉が違えば世界が違う」ということも納得しました。言霊というものは、日本独自の文化だからです。

残念ながら、言霊的発想は日本独自のものではありません。『旧約聖書』ヨハネ黙示録にも、まず言葉が誕生し、世界が作られてゆく様子が語られています。また、アニミズム(万物霊魂論)などの宗教的特徴が強い社会では、森羅万象にも人間と同じ精霊=生命が…

琵琶法師が行っていたことも、歴史を物語る行為に当たるのでしょうか?

そうです。平家語りや太平記語りは、歴史語りの最たるものです。現在文化人類学などでは、いわゆる実証主義の近代歴史学とは異なる基準で語られる、個々の民族集団の歴史語りが大きな注目を集めています。これは授業で扱った、近世以前の物語的な歴史理解に…

個人の偏向した主観こそ、彼しかなしえない洞察を可能にするとの説明がありましたが、歴史の解釈はそれぞれ異なっていてよいのでしょうか。

授業でも話をしましたが、歴史学が学問であることの証明として、史料を通じて必ず過去へ方向付けられること、反証可能性を持ち学界はもちろん社会へ開かれていることがあります。すなわち、個々人の主観は、まず史料により放縦な解釈を誡められ、そして他の…

言語論的転回のところで思ったのですが、赤インクで「あお」と書いて、「何色ですか」「何と書いてあるか」と訊かれて迷ってしまうのは、色として目から入ってきた情報と、言葉として自分たちが理解している情報が異なるからなのでしょうか。

正確には違うだろうと思います。上記のような迷いが生じるのは、その問いが、文字の色を回答として求めているのか、それとも文字/言葉の意味するところを回答として求めているのか、明示されていないからに過ぎません。言語による世界の分節というレベルに…

実証主義歴史学では、経験によって価値のある文献と偽書とを読み分けるという話があったが、それは完全に職人的な第六感なのでしょうか。

経験的に獲得した知識も、ある程度までは整理して秩序立てること、洗練して理論化することも可能です。しかしそれが、多くの経験的知識によって支えられている限りは限界があり、例えば例外的な事象には対応できない、これまでの知識に基づき推測することし…

日本では、言語論転回による実証主義批判に関する議論は振るわなかったとのことだが、その原因がよく分からなかった。 / 実証主義の理論を持たない歴史学者について、真偽は経験をもとに測られ、議論は歴史哲学分野に丸投げしてしまったとのことだが、歴史哲学分野には理論があったのだろうか?

まず、実証主義歴史学には理論が存在しませんので、多くの専門的歴史学者は理論を学んでいません。とくにマルクス主義が崩壊して以降は、理論に対する忌避感が強くなった面もあり、とにかくできるだけ多くの史料をできるだけ深く読むことに、歴史学教育の主…

歴史はその時代を照らして叙述されるとあったが、それと同時に歴史は過去から繋がっている。そのような意味で、歴史の物語り論がいまいち理解できませんでした。 / 実証主義への批判としてなされた、歴史が一定の形式を持つナラティヴである、ということがよく分かりませんでした。

歴史が物語られるとき、そこに含まれるさまざまな要素、例えば登場人物(過去の人物)やその事跡、過去の事件などが、何らかの形で過去に起源を持つことは間違いありません。しかしそれをどのように語るかといったことは、時代情況の大きな束縛を受けるわけ…

性犯罪の被害を受けた人々が自分を責めてしまうのは、日本特有のことなのでしょうか? / 女性差別の話について、なぜ日本は女性の社会進出が遅れているのか、私が考えるのは、儒学・朱子学の名残が女性の社会進出を妨げているのではないか、ということです。「妻は夫に従い、子が育てば子に従う」という昔ながらの価値観が、現在の女性の全般的な苦痛に繋がっているのではないでしょうか。

世界にも、少なからずある/あったと思います。授業でもお話ししたとおり、これは、社会における女性の地位の未確立と関係があります。社会の構成員が、子供のときから、何を直接いわれ、何を間接的に聞かされて育っているか。人間は自らを社会に適応させよ…

北條先生は、冒頭、トランプ大統領の訪日の報道について言及していましたが、日本人が政治に対して積極的に批判できるようになるためには、どうすればよいと思われますか?

現代社会を古代社会に直結するつもりはありませんが、列島社会では古代から、共同体の首長に政治を体現させる、共同体の成員は首長に共同体の運営を委託するといった傾向が強くありました。その根幹の部分は、恐らく近現代以降も変わっていません。すなわち…