全学共通日本史(18秋)
現代においては、いわゆる本州地域にどの程度のアイヌの人びとが暮らしているかは、判明していません。調査に応じない人びと、申告のない人びとがいるためです。ただし、東京に相当数の人びとがいて、独自のコミュニティを作っていることは分かっています。…
公文書館、史料館、民俗資料館なども、博物館の範疇に含めます。
前々回お話ししたように、やはり、宗教に対する寛容さの象徴のように位置づけられる神仏習合を、列島文化として考えたい欲求が強いのでしょう。もちろん、正確な知識がほとんど広まってないことも原因です。一般社会は、「本当のことを知ろうとする」知的好…
神武天皇は、国家の始まりを象徴する存在です。7〜8世紀の古代国家が、国内外に「日本」の起源を説明しようとするとき、中国王朝の始祖たちに準えて創出したものと考えられます。その描写には、漢籍に基づくフィクションも多いのですが、大王家はもちろん…
縄文時代の遺物や遺構を分析してみると、どうやら当時の人々は、死と再生という自然の循環のサイクルを、神的なものとして信仰していたらしいことが窺えます。森羅万象に精霊の宿るアニミズムは、そのうえに展開していたと理解するならば、かかる〈死と再生…
重要な指摘ですね。より正確にいいかえると、勧農イデオロギーの不全、ということになるかと思います。8世紀は温暖化により農業の収量が増え、条里制にも基づく耕地開発や、三世一身法から墾田永年私財法に至る土地制度が整備されてゆき、有力農民から新興…
神が苦しむ存在とみなされた理由は、上記のとおりです。また極楽というのは、仏教のうち阿弥陀信仰に基づくユートピア=仏国土であり、解脱したもののみが往生できる世界ですので、そこに存在するものはすべて仏です。未だ輪廻する存在である神は、天道には…
中国で作られた神身離脱の形式において、神が苦しむ存在、罪を作り続けるものとされたのは、まずはその信仰のあり方にあります。中国における祠廟の神々に対する祀り方は、当時、酒と肉を供えて祈願するのが一般的でした。これは、超越的存在に犠牲を捧げる…
初期神仏習合は、仏教の側による神の〈解釈〉なので、力関係において仏>神と認識されてしまうのは、仕方がありません。ただし、日本的特徴の箇所でお話ししたように、古代日本の神身離脱説は、廟神を解体する中国のそれとは異なり、神祇の再活性化へと向か…
もともと「仏」は目覚めた人を意味していましたが、大乗仏教化のなかで神格化が進んでゆきます。しかし、人間が修行を重ねて「なる」存在であることに注意が必要です。一方の神祇信仰の「神」は、やはり自然を直接的に表象するものであり、人間が「なる」も…
これは高校までの日本史で習うと思うのですが、神仏習合が始まった7〜8世紀は、必ずしも仏教が主流ではありません。古墳時代から継続してきた神祇信仰があり、古代国家の政策や仏教の影響を受けて勢力を拡大しています。例えば、神祭りの場は本来臨時に設…
考古の時代のアニミズムから始まり、律令国家の祭祀のあり方、中世の唯一神道、近世の国学・復古神道、近代の教派神道などは教科書でも扱われていますが、恐らくほとんど解説されていないので、印象が希薄なのでしょうね。1つめの単元でも解説したように、…
まず、「独自」や「固有」といった言葉が、自分のアイデンティファイする集団を前提にした価値付けである、という点に注意が必要です。それらをまず括弧に入れて考えれば、例えば神仏習合なども東アジア的宗教現象として理解するのが適切で、中国と日本列島…
えっ、無宗教ではありませんよ。1つめの単元でも詳しく言及したように、日本を無宗教だと断定するのは、西欧的宗教観というスケールに当てはめた批判に過ぎません。列島文化には極めて多様な宗教が息づき、時代・社会の展開にも大きな影響力を持ってきまし…
主観を排した普遍的世界が存在しないというのは、量子力学的実験によってもある程度明らかにされています。しかし、われわれが作り出している環境の世界の外部については、確かにある程度想定することが可能です。ただし、授業でもお話ししたように、それを…
残念ながら、アジア的生産様式について、一般的に分かりやすく書いている本はありません。とくに1980年代よりも前、マルクス主義全盛期に書かれたものは、文章自体が極めて難解です。専門書ですが、同様式の議論が世界中でどう展開したかを網羅したものに、…
どうでしょうか。われわれが、それほど合理的・論理的に思考判断できる主体かどうか、あまり過信しすぎるのもよくないかと思います。まあ、個人の政治的志向が入ってしまいますが、本当にぼくらが合理的なもののみを支持するのであれば、これほど疑惑や汚職…
例えば、ロシアの歴史家アーロン・グレーヴィチらが、「アナールに理論がないこと」を批判しています。授業でもお話ししましたように、アナールはグランド・セオリーを批判し、個別具体性の探究を重視しましたので、歴史全体を俯瞰するような枠組み、理論を…
確かに「落ち着いた」というものの見方はできますが、一時期は「網野善彦が指摘したことには何の意味もなかった」といった見解がまかりとおっていましたので、「衰退」「反動」といってもよい情況だったと思います。また社会史は、単に社会を研究対象とした…
その感想・疑問はよく分かるのですが、同時に、神を人間から屹立させるキリスト教的な神観念自体も、普遍的事実ではないことを理解すべきです。つまり、人間/神が連続するような神観念、これは実は世界的に強固に広がる観念で、神は精霊的な存在といいかえ…
注意しなければいけないことは、個々のものを集積してもそれは集合性には直結しない、ということです。これは、社会学の生みの親のひとりデュルケームが強調したことですが、集合性を明らかにするためにはそれ独自の方法を採らなければならないということで…
「記録」の時代の「記録」は、現在でいう実証主義的な「ありのまま」よりも、より広汎で豊かな記述の仕方を含むものでした。それは必ずしもリアリズムではなく、散文でもなく、例えば詩歌の形をとって、東アジアの間に広汎な共感と協働を呼び起こしました。…
いわゆる革命が必然的か、ということについては、ぼく自身は否定的です。天皇制についても、そもそも近世までの政治・社会において、天皇の存在は打倒しなければいけないほど抑圧的、かつ絶対的な権力だったのか疑問です。近代天皇制は、天皇自身や皇室関係…
授業でもお話ししましたが、180度というわけではありません。現在でも40代より上の研究者は、世界史の発展原則自体は信じていなくとも、マルクスの思想にはシンパシーを持っていると思います。1960、1970年代の安保闘争は、学生運動・市民運動と一般社会を断…
日本列島の社会は共同体の力がずっと強固でしたので、財を集団で共有するという社会主義の発想には、もともと適合性があったとみることもできます。しかし実際のところは、多くの人々が戦時下の抑圧からの自由を求めていた、マルクス主義がその自由を体現し…
共産主義にしても、社会主義にしても、まだ人類の歴史において、その理想が実現されたことはありません。それゆえに、ソ連や東ヨーロッパ諸国が崩壊したことで、「社会主義は終わった」と判断することも短絡的です。事実、現代思想の世界では、社会的格差の…
マルクス主義の思想は、簡潔ではありません。世界は複雑です。どうか、ものごとを簡潔にみようとすることを、一歩踏みとどまって下さい。「簡潔にする」ことによって零れ落ちてしまうもの、隠されてしまうことは極めて多いのです。なお、マルクス主義につい…
国体の定義については、非常に長い時間をかけて徐々に行われていったので、一般社会においては大きな混乱は起きませんでした。しかし、大正12年(1923)の関東大震災前後から昭和15年(1940)の皇紀2600年に至るまで、国家・社会全体でみるとかなりひどい弾…
天皇機関説においては、軍事における天皇大権の行使に内閣の輔弼が認定されています。軍部としてはこれを排除し、軍事における陸軍の自由度を向上させようとしたのは確かでしょう。そこで、陸軍中将でもあった貴族院議員の菊池武夫が美濃部学説への攻撃を行…
天皇機関説は大日本帝国憲法下における解釈学説で、「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けてこれを行使する」との考え方が基本であり、天皇大権を尊重しこそすれ制限するものではありませんでした。帝国憲法をその…