日本史概説 I(11春)
天平期の後半から称徳朝にかけては、確かに仏教が国教に近い状態を現出していました。しかし、それは他の宗教を排除する、仏教のみを信仰するということではありません。律令制度は基本的に儒教と法家の思想によって成り立っていますし、神祇に対する祭祀も…
聖徳太子については、『書紀』に載る関係記事に神秘的な事象が多く、前後の記述における蘇我氏の事績を剽窃したように書かれていたり、中国の典籍や仏典によって様々に粉飾されているなど、編纂者の何らかの意図に基づいて「創作」されたと想定される記事が…
天皇の漢風諡号は、実は8世紀の後半に淡海御船が一括して奏上したもので、『書紀』における事績を漢字二字に集約的に表現したものです。例えば、崇神天皇については、その事績のうちに、巨大な祟りをなした三輪神を奉祀し鎮めたこと、自らと同一殿舎に奉祀…
牽牛子塚古墳ですね。二つに仕切られた石室が、斉明天皇と娘の間人皇女を合葬したという『書紀』の記述に一致すること、漆・布を交互に塗り固める最高級の「夾紵棺」の破片がみつかっていることなど、情況証拠は多くあります。最も重要な根拠は、これが7世…
いわゆる「大王」ではなく「天皇」を名乗ったのは、同時代史料の木簡にその文字が刻まれている天武天皇であったと思われます。7世紀後半には、中国でも一時期皇帝が「天皇」を称し、新羅の王も同様に称したらしい形跡が、出土文字史料より明らかになってい…
実質的労働力は、奴隷というより、徴発された役民たちですね。支配層のそれは、当時直轄的支配領域であった畿内の民衆から確保されたようです。7世紀の宮殿建設になると、東国などの遠隔地から徴発することも行われてきました。首長への労働奉仕は、後に律…
両方の意味があるのでしょう。心性史的な観点からすれば、自然神をコントロールしうる権威を生み出すということは、当時の王権・国家において重要な課題であったはずですが、しかし支配者層も古代的価値観の桎梏から自由なわけではない。通常はその点を自覚…
いわゆる人柱が、実際に日本列島の歴史のなかで行われてきたかどうかは、柳田国男以来さまざまな議論があります。それは明確な人柱の「遺跡」がみつからないからで、柳田などは「物語の世界だけのもの」という立場を取っていました。しかし、近年の供犠論的…
ヤマト王権にとって、難波は外港としての重要性を持ち続けます。孝徳朝や聖武朝の難波宮も、外交や交通との関係においてその機能を発揮していました。ただし、難波津が整備されるのは5〜6世紀の間で、それ以前はやや南方の紀ノ川河口付近が外港の役割を果…
難しい問題ではありますね。自然環境に注目しますと、ナラ林文化と照葉樹林文化の相違、それぞれが経てきた歴史的情況の相違ということになるのでしょうが…、実をいいますと、ぼくは列島を東/西で分けて考えるものの見方は充分ではないと思っているのです。…
以前に公開されたIPCCによる試算では、京都議定書で設定された二酸化炭素の排出基準をある程度遵守したとしても、確か2070年頃には、東京は現在の奄美大島程度の気候となり、冬がなくなるといわれていたように思います。温暖化の予測はスーパーコンピュ…
両方ですね。一般に、洪積台地より沖積低地の方が堆積した時期が新しく、それ故に緩く軟らかであるといわれています。地震の揺れ自体も酷くなりますし、液状化なども起きやすくなります。また、歴史的・社会的条件を合わせて考えると、高燥な洪積台地には比…
現在、日本列島の環境の変化について通史的に説明している文献で最も妥当な見解が述べられているのは、辻野亮「日本列島での人と自然のかかわりの歴史」(松田裕之・矢原徹一責任編集、シリーズ日本列島の三万五千年―人と自然の環境史1『環境史とは何か』文…
「差別」は近現代的な人間観に基づいているものの見方なので、それを前近代に直接当てはめて考えようとすることは誤りです。しかし仮に、男女平等の立場に立って女性が不当に扱われる情況を「女性差別」と捉えたなら、それは明らかに社会的・文化的に構築さ…
講義でお話しした時点での家族形態では、まず5世紀後半の夫婦同居以前の段階においては、男性配偶者はあくまで配偶者であるに過ぎません。家長と子供たちからなる家族のなかでは、我々が現在考えるような家族としては扱われないようです。また、6世紀前半…
どうなんでしょうね、ぼくも知りたいところです。結婚「式」とは、いってみればそこにおいて成立する二者の関係、あるいはそれぞれが所属する共同体の関係を縛るための呪術です。よって、配偶者となったものどうしが生涯にわたり恒久的な関係を維持すること…
鋭いですね。その二項対立が首長権を背景に拡大した場合、他の精霊や神格を何らかの形で排除し、あるいは吸収し従属させてゆくという事態が生じてきます。そうなるとそれは、「多神教のなかの一神教的なもの」となってゆきます。例えば、7〜8世紀にかけて…
そうですね。来週少し話をしようと思っていますが、現在の建築に関する神事は、古代に体系化された〈木鎮め〉という一連の祭儀の形式化したものです。現在でも、神社の式年遷宮などではこの形式を踏襲しているところもありますが、まず山の入り口において山…
確かに、例えば山や島に対する信仰でも、そのなかに屹立している巨岩を神の依代にみたて(=「磐座」といいます)、奉祀するというパターンが多いですね。樹木に対しても同様です。そのほかによくみられるのは、やはり講義でも扱った湧水や流水でしょうね。…
山や川と同様、海に対しても神聖性を覚えていました。とくに海上他界、海中他界の観念は発展して、中世以降にまで受け継がれてゆきます。装飾古墳の壁画をみても、海の彼方に神霊の原郷ともいうべき他界があるとの認識をみてとれますし、『古事記』や『日本…
確かに、人間/自然、文化/野生という対立項が、現在より曖昧な状態で混じり合っているのが古代的認識ですね。しかし、大陸・半島から伝来した儒教や仏教は、これらの区別を截然と行います。儒教が自然を文明の素材と捉えるあり方は非常に近代的ですし、仏…
平安時代、女性の穢れ観が仏教の影響によって高まったために寺社の女人禁制が進行してゆくことになりますので、沖ノ島でもその頃には禁制になっていたとみてよいでしょう。日本の神は「穢れを嫌う」ことが特徴とされ、血や肉を却けるものと考えられています…
レイラインをどういうものとして解釈するか、が問題でしょうね。もっともよくいわれるのは、太陽の運行に関わる方位信仰でしょうが(「ley」と「ray」が混同されている?)、個々の神社の規模であればともかく、列島全域に直線がかかったりするようになると…
神道の起源そのものについては、講義でお話しした自然祭祀にあるとみていいでしょう。その後、王権がとくに信奉した神社を中心に、祭祀の制度化、起源神話の詳細化が進んでゆきます。ときにそれは、中臣や忌部といった祭祀氏族、それぞれの神社の奉祀氏族に…
古墳時代にも、村落での祭祀の形跡はあります。やはり、古墳や湧水点祭祀に用いられた滑石製模造品を用いたものですね。しかしそれらの担い手は純粋な「庶民」ではなく、中・小規模の村落首長だったものと考えられます。しかし、8世紀の文献のなかには、ま…
重要な質問ですね。上代の文献などをみていると、別れの際に「比礼(呪具としての布)を振る」という動作が出てきます。これは、幸福を招き寄せたり、逆に邪気を祓ったり、魂を呼び戻したりする所作と考えられていますが、『万葉集』にみえる恋人などへの挨…
三途の川自体は、仏教と道教、もしくは民間信仰が習合して中国で作られてくる観念なので、日本の古墳時代の「船」とは直結はしません。しかし、そもそも生者の世界と死者の世界との間に川が流れているという発想は、川を何らかの境界と認識する自然観に基づ…
もちろんそうでしょうね。民族社会や前近代社会において神話が構築されるとき、その基底に置かれるのは「二項対立」の構図であるといわれます。生と死、天と地、火と水、昼と夜、などなど。それらが組み合わされ、情況に応じて変換されて、物語が紡がれてゆ…
「天国にゆく」というのとはちょっと違うかも知れませんが、昇仙と関わる可能性はなきにしもあらずです。中国の貴族層の墓からは「昇仙図」なる帛書が出ていて、被葬者が仙界の西王母のもとへ上って仙人になる過程を描いています。星辰図は元来、墓室内に別…
赤色顔料については、以前こちらでも回答したとおりです。主にベンガラを用いているようですね。その他の色については鉱物を利用したものと考えられていますが、従来海緑石を利用したとされていた緑色系統の彩色が、最近のガンドルフィカメラによるX線解析…