日本史概説 I(12春)
現在出土している遺物としては、滋賀県大戌亥・鴨田遺跡で発見された、3世紀中頃の「卜」字の刻書のある土器が最古かなと思います。ただしこれは、文字として認識されていなかった可能性も高いですね。いずれにしろ、朝鮮諸国や中国王朝と外交関係にあった…
鉄剣などに記す金石文のありかたは、陰刻・陽刻の2つがあります。前者は金属器自体の完成したあとに文章を刻むもの、後者は金属器の型に文章を彫って鋳造を行うものです。刀剣の場合は鋼を打ち鍛えて製造しますので、多く陰刻によって銘文を作成します。弥…
仏教公伝の年代については、『書紀』に載せる欽明天皇13年(552)説、『元興寺伽藍縁起』『上宮聖徳法王帝説』などに載せる欽明天皇戊午年(538?)説があります。従来は、仏教関係史料に書かれた後者が有力でしたが、近年はその史料性を疑問視する見方も出…
朝鮮三国と倭国に通交が発生した四世紀後半、すでに百済・高句麗は敵対関係にあり、百済は高句麗との戦闘を有利に進めるため、海を挟んで隣接する倭国と同盟関係を結んだようです。高句麗の広開土王の時代には、百済と加羅地域が連合し新羅に敵対したのに対…
弥生時代を通じて、列島には様々なレベルでの渡来人が訪れています。とくに金属器の生産に関しては、朝鮮半島等々から原料や技術を輸入し、それをなしうる人物こそが支配的立場に就いていたものと考えられます。中国王朝の情報は、すでに多様な形で伝わって…
『宋書』に載る上表文にみられる倭王の中国名は、同文章を作成した渡来人が、大王の名の一部を採って中国的に表現したものと考えられます。「武」はワカタケルのタケルに相当し、「讃」はホムタワケのホムに当たるのでしょうか。上表文を中国的形式に則って…
宋はこの除正を通じて、朝鮮半島の政治的情勢を自国に有利に展開しようと図っています。政治的パワーバランスを考えて、要請に応えて正式な除正を行うかどうかを決定していると考えられます。武は加羅への軍事的顕権限だけでなく、開府儀同三司への任命も認…
もちろん、『宋書』にも政治性がありますので、記述が客観的に正しいものかいなか検討が必要です。しかし、上表文に関する部分は『宋書』の地の文ではなく、基本的に上表をそのまま引用しているとみられる箇所なので、省略こそあれ、意図的な改変はなされて…
『書紀』は中国王朝や朝鮮三国を意識して書かれていることは確かですが、実際上その記述の視野に収められていたのは、むしろヤマト王権を構成する諸豪族、地方諸勢力、そして国家を支える官僚たちであったと考えられます。『書紀』は成立後間もなくして、官…
現在は、『古事記』の序文を疑う見解はありますが、全体を偽書とみなす説は少なくなってきました。音韻や文章の詳細な分析も進み、8世紀前半のものとみて間違いないという評価が定着しています。神話については、これといって「新しい」という感覚はありま…
これまでお話ししてきたように、ヤマト王権は、ヤマトのグループを中心とした幾つかの政治集団の連合体です。吉備や出雲、北九州、東海には、王権と同盟した強大な勢力の存在したことが分かっています。しかしヤマトのなかにも、血縁原理でまとまった幾つか…
恐らく、『古事記』や『日本書紀』を生んだ7〜8世紀のヤマト王権が志向したのは、「革命のない王朝」であったと思われます。彼らが国家形成の手本とした中国王朝は、革命によって王権の健全さが保たれる(ことを名目としている)国家形態でした。版図が極…
中国的な父系直系原理を理想とする形に整備されてゆきますが、当初は母系要素(つまり双系制)、非直系的要素も強かったものと考えられます。7〜8世紀の女帝の出現はそのことを証していますが、男性の正統的後継者が未だ即位できない場合、その後見として…
現在、天皇家に関する歴史研究は、現在の皇室のプライベートに関わる問題でない限り、ほとんどタブーはありません。まともな古代史研究者であれば、誰ひとり「万世一系」神話を信じてはいないでしょうし、系譜・系図関係の研究も活発になされています。唯一…
きちんと実証したわけではありませんが、源頼朝が幕府を開く際に、大江・三善という文人官僚を招いている点が重要です。とくに大江広元は、紀伝道(当時の歴史学)の大家である大江維光の名跡を受け継いでいました。また、広元の曾祖父匡房は、院政期随一の…
行われていました。『宋書』夷蛮伝では、高句麗王と百済王に将軍位その他が授けられ、漸次褒進されている様子をみることができます。恐らく、宋が半島経営をその思惑どおりに行うため、対立する諸勢力にそれぞれ称号を授け、牽制しあうようにし向けているの…
銅鏡は宝物として賜与したものでしょうが、その銘文には鋳造した国家の年号が入っているので、国と国との交通を証すものになったということでしょう。正式な形は、某国の朝貢に対し中国皇帝が賜与した旨を示す銘文が刻まれますが、この頃には大量生産され半…
「狗奴国の背後に呉がいた」ことは、可能性としては高いのではないかと思います。少なくとも、魏はそのように考えていたようです。「卑弥呼が魏の援軍を求めたが受け入れられなかった」というのは、史料的には正確ではなく、倭人伝による限り、「卑弥呼が狗…
中国の歴代の正史は、時代ごとの王朝の意図を反映しますので、そのつどの政治的局面によって書き方が変わるのは当たり前です。それを充分に考慮して、批判的な読解を行わねばなりません。また、誤解のないように書いておきますが、いくら『魏書』が倭を好意…
中国では、甲骨の裏側を定型的に削り込み、熱すると「卜」の亀裂が入るように調整して卜占が行われました(これが「卜」字の起源です)。この図形が美しく出ること、そしてキツという音の発生することなどが、吉凶判断の基準になったようです。周代頃には、…
中国でも、狩猟採集時代には鹿骨を使用していました。これが、牧畜の開始に伴って牛や羊へと移行し、殷代に亀甲が主流になってゆくのです。しかし、中国東側の山東半島周辺では、中原地域で牛骨や亀甲が主流になった後も、鹿骨を用いて卜占が行われていまし…
殷代に主に使用したのは、陸地で普通に確保できるクサガメやハナガメでした。これは、殷に服属する周辺の異民族から、定期的に集められていたようです。日本ではウミガメが使われますが、これは日本が島国であったこと、中国からの導入の担い手となったのが…
狩猟採集社会の説明でも述べましたが、アニミズム世界においては、ある動物の神聖視とその殺害とは矛盾しません。亀の場合も、卜占をする際に卜官が亀の神霊へ呼びかける祭文が読まれますので、当時の殺害は現代的な意味での殺害とは内容が異なるのだと分か…
中華思想をどう定義するかによりますね。これは自国を中心として、周囲を文明の届かない蛮族とみなし、彼らを教化し文明に組み入れてゆくベクトルを持った思想です。そういう意味では、ヨーロッパの古典古代が周縁をバルバロイとみなし、やがてローマ帝国の…
中華人民共和国の「中華」も、もちろん世界の中心を意味します。しかし、国名におけるナショナリズムは世界に共通のものですから、国際秩序においてはある程度許容されているとみてよいでしょう。それを非難するのは、それこそ内政干渉というものです。例え…
一応は、現在のナショナリズムに近い世界意識を持って、世界の中心を標榜していたとしてよいでしょう。しかし、その「世界」が中国等々も含むものであったのかどうかは、議論のあるところです。例えば、雄略天皇時代の鉄剣銘からは、ヤマト王権が、中国王朝…
資料に示した山口神社の多くは、山口祭儀を行っていた場所に、恒常的な社殿が建立されるに至ったものと考えられます(すべての山口神社がそうだ、ということではありません)。それらのうち、もはや木を切り出さなくなった場所でも、地域や王権の守護神と位…
音、すなわちヤマト言葉としての使用が先でしょうね。しかし、語源については諸説あり、定説をみていません。例えば、キソダテヤマ(木育山)の略、ソノムラ(薗村)が転訛したもの、ソグ(削ぐ)・ヤマ(山)の略、といった見解があります。
これについては、議論が繰り返されており、定説をみない情況です。しかし、幾つかの理由を挙げることはできるでしょう。第一に、都城制を導入する前に行われていた歴代遷宮制が遺存し、天皇の代替わりごとに宮を変える慣習が持続していたこと。第二に、都城…
伝承としては、渡来人たちによってもたらされ生産が本格化したといわれていますが、恐らくは事実でしょう。中心的役割を担ったのは、新羅系の渡来氏族秦氏です。彼らは広汎な殖産興業を担いましたが、養蚕と絹の生産はその中核をなしていました。その後律令…