日本史概説 I(15春)
マイノリティーといえば、やはり夷狄に設定された蝦夷や隼人、あるいは南島の人々でしょうか。上にも少し触れましたが、山や海には国家によって充分把握されていない人々も存在したと思われますので、彼らも平地の農耕を主な生業とした人々からは、特殊視さ…
僧侶になると一般民衆の戸籍から除かれ、課税対象から外されます。もちろん、これはきちんと国家の許可を得て試験などに合格した場合ですが、戸籍に登録された土地を離れて浮浪逃亡する際、僧体をとることを隠れ蓑にしたものでしょう。また、当時民衆に大き…
教科書レベルでは、天皇の意向を強調しすぎる嫌いがあります。あくまで律令国家は、天皇を頂点としつつも、政策の立案と実行を行う政治家・官僚たちが結集した国家機構です。国分寺創建も、すべて天皇の命令によったわけではなく、その意向を受けて、国家機…
天然痘は飛沫感染・接触感染ですので、不衛生な状態が流行に影響することは充分考えられますが、古代においては仕方のないことでしょう。当時は未だ入浴は水浴ではなく蒸し風呂の形式で、衛生性を保つというより養生のためのもので、一般的慣習として広がっ…
天平9年6月には、天然痘に罹患した場合の注意点、とくに高熱によって弱体化し胃腸系の衰弱した情況でどのような養生をしたらよいか、何を食べて、何を食べてはいけないかなどを、事細かに指示した太政官符が発令されています。また同時期、五位以上の官人…
教科書が扱わないだけで、混乱は起きていました。地方にしても中央にしても、国家を運営する実務を担当した官僚たちに多く死者が出たものとみられ、文書行政においては不可欠の帳簿類がなかなか作成されず、あるいは期日を過ぎても都へ送られてこなかったり…
日本の文献で流行が確認できる初見は、『日本書紀』欽明紀の崇仏論争記事です。しかしこの記載は、中国の史書などに依拠して創り上げられた「虚構」である可能性が高いので、実質的なパンデミックは天平7・9年に起きたものが最初でしょう。藤原四子はもち…
「墾田」とは、国家の命令によらず、人々が自発的に開墾した水田のことです。唐令はこれに関する条文を定めていましたが、日本では公地公民に拘泥するあまり水田=班田の立場に立っていたため(すなわち国家が開発した水田を人民へ貸し与える形式)、墾田が…
藤原氏に関しては、氏族の規模が厖大なので、分かりやすく適切な参考書が存在しません。奈良時代については、とりあえずは、吉川弘文館の人物叢書のシリーズで出ている、高島正人『藤原不比等』、岸俊男『藤原仲麻呂』などが適切でしょうか。
中臣鎌足の後半生については、史料はしっかりしたものが残っていますので、あまり疑問の余地はありません。『日本書紀』にも、『藤氏家伝』にも記載されています。しっかり調べてレポートに書いてください。なお、壬申の乱との関係でいえば、『藤氏家伝』上…
古代においては、烏は必ずしも不穏な動物ではありません。中国で太陽の象徴であった三足烏は日本にも採り入れられ、神武天皇を熊野の山中で導いたヤタガラスになってゆきます。その熊野や厳島では、烏は神の使者として崇められ、現在でも烏が神饌を取るかど…
動揺は小さくなかったと思われます。平城京への遷都を布告した翌和銅2年(709)の10月には、平城京造営のために人心が不安定となっているため、本年の調・庸を免除するとの通達が出されます。その前の月に、藤原房前が東海・東山2道の巡察を命令されていま…
都の宅地は、国家によって配分され班給されます。しかし引っ越し代は自前でしょうね。
交通の問題を考えますと、平城宮は、北部の平城山を超えて木津に直結しています。飛鳥時代に外交である難波と都を繋いでいたのは、横大路などの陸路と大和川の交通路だとみられてきましたが、近年は大和川の水流がかつてもそれほどの量がなかったことが分か…
政令は、政府から国司→郡司へ行き渡り、最終的に里長から一般の戸へと通達されてゆきます。里長などは口頭で述べ伝えたようですが、例えば石川県などからは、政令を記した牓示(後の高札のようなもの)も出土しています。天然痘流行へ対処させる命令などは、…
いわゆる蝦夷の領域の村々があり、また山中や海浜には、常に移動して戸籍に登録されていない人々も存在したと思われます。いわゆる浮浪逃亡現象のなかにも、農業を主要な生業としつつも移動を重ねる人々が相当数おり、定住を前提に把握しようとした国家に「…
授業でお話しした春時祭田や、条里制の普及、道路の敷設などが一般的でしょう。税制の変化、戸籍への登録なども、自分が「制度に組み込まれている」と実感する機会になっていたと思います。毎年調を担い、石敷きの直線的道路を通って(原則として徒歩が義務…
人間の共同体は、外部集団との接触を通じて、その形態や構造を変化させてゆきます。外部集団が存在せず、相手にしているのが自然環境だけであれば、人間は国家という機構を持たなくてもよかったのだと思います。それを前提に考えるなら、日本列島の発生した…
いわゆる正史のなかにも、政治体制によって翻弄される民衆の姿を捉えることはできます。平城京造営のために徴収された役民が逃亡を図ること、在地でも班田農民が浮浪・逃亡を試みることは、国家的圧迫の強かったことを反映しています。平城京周辺で調を運搬…
一連の講義の最初のあたりでお話ししたと思うのですが、「時代区分」はあくまで参照すべき枠組み、必要悪に過ぎません。日本史が伝統的に政治的中心の置かれた地名をもって時代区分をするのは、政治史偏重の表れであり、政治史・国家史を歴史の中心に据えた…