日本史特講(10春)

史料12は、見方によっては蝦蟇を放生したことで災厄を背負ったともいえます。放生に悪いイメージが付与されることにはならなかったのでしょうか。

放生も立派な「行」ですので、それなりにリスクが伴い、それを克服してゆくことにこそ意味があるのだ、と考えられます。

蟹が再生の象徴であることがよく分かりませんでした。多産である他に、脱皮することが原因でしょうか? / 蟹の再生は潮の満ち引きと関わるのではないでしょうか。 / なぜ蟹が取り上げられたのか、その必然性が分かりませんでした。

脱皮は関係するでしょう。また、蟹全般ということで考えれば、潮の満ち引きも意味がありそうです(月のイメージとも重なりますので)。史料12の物語は、山背国の木津川周辺で作成されたようで、現在も白鳳期創建の「蟹満(多)寺」が存在します。木津川周辺…

鶴と亀はどちらも稲作に関わるモチーフとして扱われていますが、これらの動物が長寿の象徴とされていることと関係があるのでしょうか。亀にも、鶴のように何かを与えるといったエピソードはあるのでしょうか。

関係あるでしょうね。亀には穂落神的なエピソードはありませんが、アジア圏で最も古い神話は「洛書」に関わるものです。中国の夏王朝を開いた禹が舜帝の命を受けて治水に従事しているとき、洛水から出現した亀の甲羅に描かれていた「宇宙の真理」で、後の魔…

史料8の末尾に「即ち此の峰の南に就きて…」とありますが、これは道教の影響でしょうか。道教伝来の手がかりにはなりませんか。

確かに、墓が南にあるというのは道教ぽいですね。墓の風水的設置を語る『宅経』の類は中国でも広く利用されていましたし、日本でも仏教の疑偽経として作られたものが7世紀には使われた形跡があります。『風土記』の説話も、表現としてはせいぜい7世紀末ま…

ヲロチの話で川上から箸が流れてきますが、これも何か霊的な力があるのですか。

ヲロチの物語の文脈においては「上流で人が生活している」ことを意味しますが、ハシにはそれなりに象徴的な意味があります。ヤマト言葉では、内/外の接する境界的事物をハシと呼ぶ傾向があるようです。川にかかるハシ(橋)、隅や縁辺を意味するハシ(端)…

異類婚姻譚のうち、女性が異類の仲間になってしまう場合と死んでしまう場合がありますが、その相違は何なのでしょう。たまたま出会ったり、連れて行かれたりという遭遇の仕方の違いも気になりました。

そのような微細な相違に着目するのは重要なことです。同一の神話形式に語り方の相違があるのは、ひとつには社会における機能、役割が相違しているからで、その背景には語られる時代の相違があります。例えば女性が異類の仲間になってしまう場合は、未だ異類…

ヲロチが峡の霊とすれば、蛇の姿になったのはどういうわけでしょう。やはり洪水との関連でしょうか。

端的には斐伊川の洪水への畏怖が大きいでしょう。しかし、現在我々が読むことのできる物語自体は、王権による「蛇」への蔑視が含まれていないとも限りません。講義でもお話ししましたが、ヤマタノヲロチ神話は『古事記』に掲載されるものの、『出雲国風土記…

男性の神格に女性が供犠される、あるいは神婚の相手となる事例は多いようですが、その逆はなかったのでしょうか。

少ないながらもありました。最も典型的なのは「橋姫」です。たまたま通りかかった男性が供犠されようとした話など、血なまぐさい物語が多く残っています。山神にも女性の神格がみられ、祭祀の日に彼女を喜ばせるため、男性が裸で山中を走るなどの行事が行わ…

神話のなかに王権の権威を高める意味を持っているものが多く出てきましたが、当時の実質的な権威とはどれほどのものだったのでしょう。

政治的な権力の拡大を狙っているむきもありますが、それよりも重要なのは、大王の権威が自然神を上回るのだということを喧伝することでした。これらの神殺し譚は多く開発の現場で語られ、工事の達成と一体になって、人々の自然神への恐怖を払拭していったも…

神と人との関係は、動物と人との関係と比べてどう違うのですか。

アジアにおける神は、森羅万象に宿る精霊のうち比較的高次にある程度の存在にすぎません。儒教や道教、仏教などの影響を受けて抽象化・人格化は進んでいますが、基本的な位置づけは変わりません。むしろ、「神と人との関係」という総括的な見方をせずに、個…

史料7で、武塔の神に「お前の子孫がその家にいるか」と聞かれた蘇民将来が、「私の娘と妻がおります」と答えたのはなぜですか。 / なぜ息子ではなく娘だったのですか。

娘と妻の名前を出したのはそれほど大きな意味はなかったと思いますが(あえて解釈を付けるなら、武塔神との契約の範疇に「妻」も入れてもらおうとした、ということでしょうか)、息子ではなく娘であったことには幾つか理由が考えられます。ひとつは母系制を…

アニミズムに関して、主に自然物に精霊が宿るというのが原型とは思うのですが、人工物が他の自然物などと同じように人格を持つ、ということはありうるのでしょうか。

あります。アニミズムと関連の深い「原始」的宗教形態にマナイズムがありますが、モノが活動するのはマナというエネルギーが宿っているためだと考えるもので、そこでは例えば矢が飛ぶという現象もマナの働きによって説明されます。ところで日本では、樹木に…

シャーマンとなる過程が成巫譚というのは分かりますが、どちらかというとなってからの実績などの方がまとめられていてもよさそうですが…。

民族社会におけるシャーマンは、基本的には「書かれたもの」としての記録を残しません。講義でも述べましたが、成巫譚も、研究者の聞き取り作業によって初めて成立したジャンルなのです。よって、シャーマンの一代記も残っていません。しかし、彼らが王や英…

シャチが海の主とされていたのは、具体的にどのような地域でしょう。「鯱」という字には「虎」が入っているので、何となく大陸に繋がるのかと思ったもので。 / ワニの件ですが、サメとされているのはシャチに似ているからなのでしょうか。

アイヌや、アムール川周辺の狩猟採集民に、「シャチ」を海の主とする伝承が残っています。確かに魚+虎という字は、陸上における虎の対応物を連想させますが、「鯱」字は国字なんですよね。ただし、列島に虎はいないものの、大陸におけるその猛威は知識とし…

以前、キツネも尾が稲穂に似ていることから穂落神とされたという話を本で読みました。キツネには、農耕の季節に水田を訪れる習性はなかったのでしょうか。

キツネが水田に集まる小動物を狙ってやって来る、ということはありうるかも知れませんが、あるとすれば多くは畑の場合でしょう。山中・山麓の畑に集う兎や狸は、狐の格好の標的になったはずで、その意味では狼と同じように農耕の守護神とされたことも頷けま…

銅鐸絵画について、○頭が男性で△頭が女性とのことですが、一般的には逆の方がイメージしやすいのでは?

確かにそうかも知れませんが、現在のイメージで歴史的遺物を解釈するのは危険なことでもあります。銅鐸絵画を総覧してみると、○頭の人物は、武装したり漁労や狩猟に勤しみ、△頭の人物は脱穀や米搗などを行っています。民族社会においても、前者が男性、後者…

史料5の鹿ですが、単純に実りを害していたのは鹿ではないかと思ってしまうのですが…。 / 肉・皮を得るのに動物の許しを乞うのは分かりますが、なぜ稲を収穫するのに動物との契約が必要なのでしょう? / そもそも、なぜ鹿と農耕とは結びつくと考えられていたのでしょうか?

まず列島の場合には、古代から現代に至るまで農耕と狩猟が密接に結びついていたことが挙げられます。農耕による収穫を順当に得るためには、それを食べに来る「害獣」を排除しなければなりません。それゆえに、狩猟と農耕とがセットに行われるようになり、春…

狩猟と供犠とはどのように関係するのでしょうか?

供犠とは、そもそも自然からの恩恵を受けることについて、自らの最も大切なものをもって祈願あるいは返礼する行為であったようです。ですから、最初の稲の収穫は初穂として神に捧げられました。狩猟もそれと同じで、最初の獲物、あるいは最良の獲物が、神に…

西方浄土という考え方があるとのことでしたが、『西遊記』で西を目指すのは、天竺が西にあるというだけでなく、西方に聖域があるとの考え方も関係しているのでしょうか?

阿弥陀の西方浄土の思想は広く普及したものですので、小説『西遊記』の段階では、ユートピアとしての天竺に西方浄土が重ね合わされていたことは間違いないでしょう。ただし、実在の玄奘においては、すでに様々に現実的な西方情報が将来されていた時期ですの…

西洋の神話研究で、『旧約聖書』や『グリム童話』に出て来る蛙はエロティシズムの象徴とありました。日本ではそのような見方はなかったのですか。

もちろん、死と再生のシンボルである蛙は、エロティシズムの象徴でもあります。兎と同じことです。長野県藤内遺跡、神奈川県大日原遺跡などから、背中に女性性器らしきものを背負った蛙紋様の縄文土器が発見されています。蛇が男性象徴であるのに対して、蛙…

前方後円墳は子宮の形とも取れるとのことですが、古墳時代にどのように子宮の形を知ったのですか。

前方後円墳を壺型墳と名づけうるとすれば、神仙思想によって意味づけされているわけですので、子宮の知識も中国から入ってきたものということになります。中国医学は道教と密接に絡み合いながら発展してきましたので、生殖に関する知識も豊富に持っていまし…

獲った生き物の毛皮を剥ぐことには、どんな意味があるのでしょうか?

冒頭にも少し述べましたが、毛皮は狩猟における最重要の交易品であるとともに、動物の生命エネルギー、呪術的能力の宿る部位だと考えられていたようです。異類婚姻譚・変身譚でも、毛皮は異類への変身の道具として使用されます。次回扱う因幡の素兎の神話で…

史料2のワニの話は、互いに命や肉体を差し出しあっているのは分かるのですが、史料1には虎が単に「噛みついてきた」とあるので、契約を結ぶ云々より、ただの殺し合いにしか見えないのですが。

史料1にしても2にしても、現実における人間と猛獣との関係が「ただの殺し合い」であることは前提で、それがいかに表象されていたのかを考えることが重要なのです。史料1の虎は中国や朝鮮で熊と並び神としての扱いを受けてきた獣であり、膳臣もその交渉に…

死≠往生ですので、阿弥陀の背後に死の世界を背負わせるのは言い過ぎではないでしょうか。阿弥陀の背後にあるのは極楽浄土なのでは?

「死」のみというより、「死と再生」の世界が象徴されているということです。縄文のストーンサークルも前方後円墳も、思想的背景は異なるものの、いずれも死者の再生を願うものです。月は、満ち欠けという現象によりやはり「死と再生」の象徴とされ、装飾古…

イヨマンテで「丸太で絞め殺す」のは、熊の身体をできるだけ傷つけないようにそうするのでしょうか?

もちろんそうした配慮はあるのでしょうね。熊の精霊は耳と耳の間にいると考えられていたようですので、「魂と肉体の分離」を想定したとき、首と胴を分離するかのような所作が選択されたのかも分かりません。

飼熊送りの儀式には、成人していない子供も参加するのでしょうか。

講義で「古老たちが子熊に花矢を放つ」と説明しましたが、このとき、子供たちも弓をもって参加することがあったようです。村を挙げてのお祀りですので、子供のみが隔離されるということはなかったでしょう。もちろん、私たちの「子供にみせるには残酷すぎる…

納西族の祭祀を執り行うのは東巴ですが、アイヌにはそうした祭祀職はないのでしょうか?

アイヌにももちろんシャーマンはいますが、イヨマンテは長老が祭主を務めることが多かったようです。講義で紹介した映像は、アイヌ民族博物館が、若いアイヌたちへ伝統文化の知識・技術を継承されるため企画したもので、日川善次郎氏という古老の伝承知識に…

人間が自己を認識するために異質なものとの関わりを作る、とのことでしたが、異類婚姻では両者の間に垣根を作らないという前提があり、矛盾しているように思われたのですが…。

言語学や認知科学の世界では、あるものを同定しようとする場合には、他の物との差異化が必要であるといわれます。人間が獣を獣として認識したとき、自分たちがヒトとして立ち現れてくる。あるいは逆に、自分たちをヒトと認識したときに、獣は獣として姿を現…

東巴はどのように選ばれるのでしょう。なりたければ誰にでもなれるのですか。また、死の儀式などはどのように行われるのでしょう。 / アニミズムでは、動物の魂=人間の魂という考え方が成り立つと思うのですが、人間が死んだときにも動物の場合と同じような儀式を行ったのでしょうか。また、その際には人間の魂はどこにゆくのでしょう。

ぼくも勉強し始めたところなので正確な知識ではありませんが、東巴は基本的に世襲の宗教的職能者であったようです。祭署の神話にも登場した、「東巴の祖神」丁巴什羅の存在によってもそのことが分かります。東巴文字の読解、経典の暗誦など、かなりの特殊技…

祭署の写真のなかの白い布は何でしょうか?

署神の寨に巻かれた麻布ですね。あれは、寨の境界を示すとともに、日を跨いで行う祭署などの際、一日の次第が終了した後、署神にお休みいただく、お眠りいただくために用いるようです。翌朝祭祀を始める前には、『鶏鳴喚醒署神』という東巴経を読誦して、署…