日本史特講(11春)

晏子が占夢を担ったように、そのノウハウは他の官にも共有されていたのでしょうか。

下でも触れますが、占夢の方法自体は巷間にも知られたものがあり、春秋・戦国期には、必ずしも占夢官のみが独占する状態にはなっていないものと思います。ただし『晏子春秋』に記録されたそれは陰陽説を応用していますので、やはり当時としては専門的な占夢…

以前、史官や卜官の採用試験がありましたが、占夢官にも似たようなものはあったのでしょうか。

漢代初期の律令には占夢官の独立した試験規定はみえませんし、漢代に占夢官が独立した官職として存在したかどうかも分かりません。『周礼』では占夢官も卜官のカテゴリーに含まれますので、「二年律令」でみた卜官の入試が、そのまま占夢官の入試でもあると…

今までみてきた史料には卜官=史官の正しさが示されるものばかりでしたが、意図的にそうしたもののみが残されているのでしょうか。 / 卜官のような人々の助言で戦に勝った話があるのは分かりましたが、逆に失敗した例なども残っているのでしょうか?

基本的に、『左氏伝』や『国語』は史官の倫理=天の秩序と考えているので、君主/史官=卜官の対立が生じた際に、君主側が正当であると叙述する場合は少ないだろうと思います。史官=卜官は天の声を代弁しているのであり、それに逆らうのは天に弓引くことと…

史官に政治顧問的な役割があったのは分かりました。現在の政治家についても、発言の内容を考える人と実際に話をする人とは違うと聞いたことがあります。それでも、表に出る君主や政治家は必要なのでしょうか。 / 卜官や史官が卜占をある程度意図的な結果へ導けるとすれば、君主を操って彼らが政治を動かすことも可能だったのでしょうか。

例えば、日本古代の天皇が朝廷において政治を執ることを「聴政」といい、何らかの申請があった際に許可を出すことを、「聴」と書いて「ユルす」と訓みます。これは、群臣たちの様々な意見をよく聞いて、自らが最終的な判断を下すためです。すなわち、政治と…

史料19の史趙による助言は、占いの結果というより道徳的な判断の部分が大きいように思います。卜占の結果に反しても、道徳的な部分から意見を発した人物などはいたのでしょうか。

当然、後に『孝経』や『礼記』にまとめられることになる倫理・道徳規範も、卜占の際の重要な参考基準でした。卜官=史官が管理する神話=歴史において、「どのように行動すべきか」はむしろ自明です。彼らはその点を前提にしながら占断を下しているのであり…

占夢官の役割として、「凶夢を吉夢に逆転すること」が挙げられていましたが、私にはそれが呪術的というより、精神カウンセリング的要素があるように感じました。

講義でも触れたように、もちろん、そうした側面は大きいように思います。彼らは卜兆や卦の結果を読み解き、占断を下しつつ、君主の心を解きほぐして道徳=倫理に沿わせようとしているのです。春秋戦国期において、後の軍師や宰相の担う役割の一部は、少なく…

期末レポートのテーマについてですが、卜占や憑霊体験に関わることなら、どんな分野でもよいということでしょうか。

構いません。自分がいちばん特異な分野で執筆してください。

「亀経」は、『新撰亀相記』にどのような形で引用されているのでしょうか。

「亀経」は、卜兆の各部を五行説によって意味づけしてある書物ですので、『新撰亀相記』における卜兆の説明に際して、先例のひとつとして紹介されています。拙稿「中国六朝の『亀経』と神祇官卜部の亀卜法」(東アジア怪異学会編『亀卜』臨川書店、2006年)…

占いに依存していた時代と比べて、「占いの結果を選択する」ということが許されるようになった背景には、何かきっかけがあるのでしょうか。 / 神社のおみくじは何度引いてもよい、との話を聞きました。これは本当なのでしょうか。

いうなれば、卜占の「政治化」ということになるのかも知れません。戦国時代の複雑な政治情況は、一方で神霊的なものへの希求を強くしましたが、実際の政治の場では、より現実的な知識や臨機応変な対処が不可欠になってきました。政治的顧問の地位も史官や卜…

『左氏伝』僖公4年条で「公の羭を攘まむ」との表現がありますが、「羭」が子供を表すというのは、遊牧民族の思想と関係するのでしょうか。単に韻を踏むうえでの必要性からでしょうか。

もちろん、当時の中国には、中原周辺にも多くの遊牧民族がいましたので、それとの関連でも考えることができます。しかし、晋という国自体の文化が、牧畜社会・経済と極めて親しかったとみることもできるでしょう。晋が分裂して生じる三国のうち、北の趙は、…

『春秋左氏伝』には編集が加わっているとのことですが、歴史を研究するうえで適切な史料ではないということでしょうか?

そんなことはありません。第一、我々がみることのできる史料で、世界を透明に反映しているものなど一切存在しない。すべてが、何者かの主観を介した取捨選択・編集・歪曲の結果として創出されているものなのです。それを様々な他の史料と比較検討し、当時の…

卜官が王へ忠告できる立場なら、卜官どうしでの政治的対立などは起こらなかったのでしょうか。

彼らは政治的・宗教的顧問でもありますので、当然意見の食い違いは発生したでしょう。前回取り上げた史蘇の事例にしても、献公に仕えていた卜官は他にもいたのです。彼らのイメージは、ちょうど戦乱期に複数の献策を行うような軍師たちと重なってきます。

ひび割れが特定の形式に類別されてくるとのことですが、そもそも卜兆は卜官によってコントロール可能なのではないですか?

殷代のような、ある程度の「卜」字を出す操作は可能ですが、やはり亀甲の種類・質・状態、卜官の技術などによって不特定要素が生じてくることは間違いありません。微細な部分まで類別し図形を確定するようになると、そのひとつひとつに意図的に沿わせるよう…

亀卜と占筮の優劣とは、何か実質的な意味があったのでしょうか。 / 亀卜と占筮を行って亀卜の結果が悪ければ、もう一度亀卜を試せばいいと思うのですが、やはり卜官が君主を諫めるというパターンを重視して、このような物語となっているのでしょうか。

最初の方の授業でもお話ししましたが、やはり亀に対する特別な考え方が根底にあると思われます。亀甲は天意の現れるものであり、また陰陽和合した宇宙を指し示すものでもある。筮竹に使われている竹もそれなりに神聖なものでしょうが、亀甲のランクには及び…

中国における王朝の正統性は、日本のような「血筋」とは異なるものと思いますが、何を根拠に主張されるものなのでしょうか。

易姓革命説以降は天命を受けたかどうかが問題になりますが、遡って天命を受けたと想定される夏・殷・周のありようをどう受け継いでいるか、という点も問題になります。漢代以降は天人相関説、災異説が盛んに主張され、自然災害や戦乱などが天違に背いたこと…

中国では夏王朝について実在説を採っているようですが、最新の研究ではどのように扱われているのでしょうか。

中国だけではなく、日本でも実在説をとる研究者はいます。京大の岡村秀典さんなどが代表的でしょう。しかし、中国のように神話や伝説の多くの部分を史実として認めてしまうのではなく、二里頭文化の発掘成果に基づき、殷以前に初期的な王朝国家が存在したと…

春秋時代の官制は国によって違うのでしょうか。

『左氏伝』等々の史料をみていると、やはり細かな相違があるようです。『周礼』に掲載されている官職が多彩かつ大部になっているのは、やはり、春秋・戦国諸国の官制を集約して再構成したためだろうと思われます。ちなみに、諸国のうち最も官制の相違が明確…

前回の授業で疑問に思ったのですが、ウヂ名は、そもそも王権と氏族との関係や国務を表す大切なもののはずです。それを例えば天皇側の意向で中臣→藤原のように変更されるのは、鎌足の側からするとどういう意味があったのでしょう。プラスに捉えられるものだったのでしょうか。

史官の占断は、主に暦や天体運行によってなされると思うのですが、例えば「黄道」などの概念もこの頃に成立したのですか。

右手の方が日常的に使う手で穢れていたとすると、左利きの人間の場合は逆になるのでしょうか。そもそも左利きであることで、差別されるなどのことがあったのでしょうか。

祝官のうちの巫には、どのような神格が憑依するのでしょうか。

学ジ【人+耳】にはどのような人がなったのでしょう。引退した史官でしょうか。

史官や卜官の試験では、どのくらいの割合が合格していたのでしょうか。また、不合格になった学童たちはどうなったのでしょうか。

史官・卜官は、試験の結果に応じて就ける職が異なるとのことでしたが、欠官が出た際の補任の試験で優秀な成績を残した場合、彼の職はどうなるのでしょうか。 / 史官の試験に合格したら、まず自分の出身県の令史にならなくてはいけないのですか?エリートは重要な県に配置されるなどの特例はないのでしょうか。

史官の家では、男女や長男・長女など、継ぐべき子供の決まりはあったのでしょうか。

史官や卜官の各家での教育では、家系内の人が雇用されたりしたのでしょうか。父親に指導を受けたのですか。

史官・卜官の試験では、あまり神秘的な内容は問われないようですが、何か特殊な訓練などはあったのでしょうか。

史官は世襲制とのことですが、史官の成績によって各家のランク付けが為されるなどのことはあったのでしょうか。

史官と卜官が分化したのは、そもそもどのような理由からでしょう。分けなければいけない積極的な意味があったのでしょうか。

中臣氏は、卜官としての機能を、すべて卜部氏に委託してしまったのでしょうか?

中臣氏の原初形態の一部は、恐らく鹿卜(いわゆる太占)を担っていた集団であったと思われます。近年の古代氏族研究の進展において、ウヂ名が職掌名を反映し、各地の品部などと密接な関わりを持ち国政を遂行している集団は、自然発生したのではなく王権に意…