日本史特講(11春)

中臣氏から藤原氏にウヂ名が変わったとき、中臣の役割はすべて藤原に移ったのでしょうか?

いいえ、藤原氏は「政」、中臣氏は「祭」という、祭政一致であったマツリゴトの分化が起こります。しかし、歴史叙述に関する職掌は藤原氏へ移るようですね。これは、律令国家のなかで、歴史叙述に関与する機関が太政官寄りとなり(内閣書記である弁官局にて…

アジアの古代国家において、卜占は中国から入ってきたとのことですが、実践は渡来人が担っていたのでしょうか。 / 日本は亀卜を積極的に受け入れようとしたのでしょうか?中国的なもので、すぐには浸透しなかったと思うのですが。

亀卜の開始は古墳時代ですが、関連の遺物が発見されているのは、玄界灘周辺と関東南部海岸地域に限られます。律令体制における卜部の規定をみますと、伊豆国・壱岐国・対馬国が卜部の貢上国となっており、上記の遺物出土地域とほぼ重なります。いずれも海上…

聖数としての「三」は、易筮の3つの爻とも関係すると思うのですが、昔話などに出てくる三姉妹なども関係があるのでしょうか。

直接占いと通じる部分もありますが、世界を表現する基本的な数であることが大きいでしょうね。しかし、3人のうち誰かが賢い、あるいは愚かだという設定は、「どれかが当たりである」という認識の表れかも知れません。昔話を陰陽五行で読み解くという人もい…

亀卜が行われたのはどのような場所なのでしょう。火を使うので、屋内か室内かが気になります。

基本的に官司の建物が面する「庭」であったろうと思います。庭は、我々が現在考えるような広場であると同時に、神を招くための場所でもあり、祭祀や楽舞などは庭で執り行われたわけです。恐らく特別の竈が設営され、卜占をなすための「場」が整えられたと思…

卜官の的中率の問題が出て来ましたが、周の時代になって、殷のような、よい結果が出るまで占うといった形式はなくなったのでしょうか。 / 卜官の試験で、的中率がすぐ判明するということは、そのような内容の占いが行われたのでしょう?

そのあたりを充分解明するのは難しいのですが、説話的史料をみていますと、確かに「一回性の重要度」が増してきている印象はあります(すなわち、我々の考える占いのイメージに近付いてきています)。それは、上記の質問への回答のように、王が卜占の現場か…

史料8の「焼く」と「埋める」の宗教的意味の相違が分かりませんでした。なぜ祭服だけ「焼く」のでしょうか。 / カトリックでは、破損した祭器を埋める場合、「上から人の踏まない場所」との取り決めがありますが、古代中国ではどうだったのでしょう。

「焼く」ことと「埋める」ことは、双方ともに「他界へ送る」ことを意味し、恐らく大きな違いはなかったと思われます。しかし、亀甲・筮竹が神霊の意志の宿るものであり、祭器・犠牲が神霊へ捧げられるものであるのに対し、祭服のみが自ら身に付けるものであ…

灼甲を行う際、何度も暗火を押し付けるのは不便ではないでしょうか。なぜそのような方法が採られたのでしょう。

なぜでしょうね。もともとは、そうするしか鑽鑿を局所的に熱する方法がなかったのでしょうが、それが継続的に用いられるなかで特別な意味が付与されていったものでしょう。祭祀などの神聖な行為は手間を惜しんではならない、本来は合理化や形式化の考えが介…

スイ氏が暗火を作る際に使う火は、何か特別なものなのでしょうか。料理をするときの火とは違うものだとか…。

亀卜の火は、亀卜の場において設営されるカマドから採られるもので、日常生活に用いられる火とは区別されていたと考えられます。しかしそれは、例えば料理を作るのに用いる火は世俗のもので、亀卜に用いる火は神聖だというわけではありません。火自体はいか…

占辞を布に書いて亀甲に貼り付けておくとの史料がありましたが、布に書くということは当時一般的だったのでしょうか。竹簡の印象が強いのですが。

はい、「帛書」といって、竹簡などと併用して絹が使用されていました。これは腐食して後世に残りにくく、史料として残存するものは少ないのですが、1973年に馬王堆漢墓より出土した帛書は、易書、道家書、『五十二病方』をはじめとする多くの医書・養生書、…

「史」の文字が算木を入れる籠を手に持った形とすると、これは占いの的中率を測ろうとした周代以降に作られた文字なのでしょうか。 / 「史」の字が権力に逆らっても正しいことを記すといった意味とすれば、中国の歴史書のあり方と矛盾するのではありませんか。

いえ、「史」自体は甲骨段階からみることのできる文字です。算木の問題は射儀の命中数を数えるといった解釈で、卜占自体の的中率に関することではありません。また、『説文解字』の「中正なり」という説明は、あくまで後漢の時点での解釈と考えればいいでし…

周代は殷に比べて王と占いの「距離」が離れたとのことですが、これは、殷から周への政治体制の変化に伴うものと考えてよいでしょうか。また、その変化の背景にあるものは何ですか。

そうですね、国家の官職制度自体が詳細化・専門化して、分業が進んだ結果といえるでしょう。自ら占断をなす殷王の方が、祭政一致のプリミティヴな王権のあり方をよく伝えています。周王朝では、王権の宗教的権威が王から卜・祝・史へ移管され、機能の拡大を…

近代オカルティズム全般を扱った概説、入門書のようなものはありますか?

津城寛文『"霊"の探究―近代スピリチュアリズムと宗教学―』(春秋社)、一柳広孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉―日本近代と心霊学―』(講談社選書メチエ)でしょうか。とくに入門書としては、後者が分かりやすいですね。

卜占に天文などは利用されなかったのですか。

もちろん、天文に関わる卜占も存在しました。『周礼』にも、やはり春官の所属で、憑相氏や保章氏という日月星辰の運行を観察し吉凶を判断する役職が記載されています。洛亀が具現化したかのような式盤も、天の運行と地の運行を連動させて占いをする道具です…

卜占が的中せず、国家から処罰されたりすることはなかったのでしょうか。

上記のような史料のなかには、卜占の結果をめぐって君主と対立し、処罰される事例もみることができます。現代の我々は、どうも卜占について胡散臭いイメージを持ってしまいますが、講義でもお話ししたように、その結果には一族や国家の命運がかかっている場…

周代においても、卜占が政治の道具になったり、政策の行方を左右するような効果を持っていたとの記録はあるのでしょうか。あるいは、卜官が自分の思うように結果を操作するなどのことはあったのでしょうか。

次回以降に扱う『春秋左氏伝』や『国語』などの説話的記録のなかに、幾つかのエピソードを見出すことができます。亀卜の結果がある程度の予言性を持ち、それを君主が受容するか拒否するかで、国の命運が大きく左右されたことを伝える物語も存在します。それ…

亀卜の機関に、一般民衆から徴発された「胥」「徒」が配属されていたとのことですが、国家機密レベルの問題を扱っている卜占の場に民衆が参加していてもよいのでしょうか。

講義でもお話ししましたが、彼らは雑務をこなす役夫ですから、国家機密に関わるような卜占の現場には顔を出していないと思われます。また、例えば竈に火をおこしたり、必要素材を運搬するために立ち入ったとしても、何が行われているのかは知りえなかったで…

亀を採るのが秋、殺害・整治するのが春とすると、この間の期間にはどのような意味があるのでしょうか。

どうなのでしょう。例えばアイヌのイオマンテは、春の狩猟に際して捕獲した子グマを大事に育て、秋の祭礼のときに殺害するという儀礼です。春から秋までの期間は、神霊としてのクマを接待する重要な期間で、この間に人間と子グマの間には擬制的な親子関係が…

亀人たちは、亀を殺すことで差別されたりなどしていなかったのでしょうか。 / 亀を運ぶのは亀人の仕事だったようですが、他の人が運ぶと亀が穢れるなどの発想はなかったのでしょうか。 / 亀人が亀を運ぶことについて、征旅とともに喪についても同様としていますが、亀が異界へ人を運ぶという考え方と関連しているのでしょうか。

講義でも触れたように、亀人は、恐らくはもともと亀の捕獲や生育に関する特殊知識・技能を持ち、貞人たちの配下にあって活動していた集団だったのではないかと創造されます。中国中原の文化は狩猟採集から牧畜へ発展してきた文化ですから、仏教が伝来してい…

亀に関する属性は、何のために区別されていたのでしょう。複数の条件を満たしていた場合には、どのように弁別したのでしょう。 / 亀の属性について、「玄」「黒」が分けられていましたが、どう違うのでしょう。

これについては分からないことが多いですね。実のところをいうと、『周礼』の記事やそれに関する鄭玄注が、本当に戦国時代や漢代の実態を反映しているのかどうか、立証できる材料はあまりないのです。確かに、何の根拠もなく記事が創作されたり、あるいはそ…

占いが王のものから一般に普及していったのはいつのことなのでしょう。またその際、恐れや抵抗のようなものはなかったのでしょうか。

これから扱ってゆきますが、戦国時代の末には一般化が始まって、卜占を専門に請け負う民間の集団が存在したようです。彼らの活躍は、近年の戦国竹簡史料の発掘でようやく分かってきましたが、秦や楚といった国の貴族たちがクライアントになって彼らを雇い、…

「頌」に関して、神の言葉がリズムをもって語られるのはアジアの文化と仰っていましたが、他の地域ではないということでしょうか? / 呪術とリズムの話に関心を持ちました。なぜ関係しているのでしょうか。身体の問題でしょうか。

講義でも説明しましたが、人間が神の言葉として伝わっているものを、典礼に整理して音律に乗せて述べる、という行為は創唱宗教に多く認められます。キリスト教にも、仏教にも、イスラム教にも確認できることです。しかし冒頭の講義でみたように、神憑りにな…

占いは、神話や言い伝えのようなものを意識しながら成立していると思いますが、間違っていますか?

「意識する」というと非常に広い意味になってしまいますが、確かに何らかの宗教的・神話的根拠は存在しますね。亀卜に関しては、これを裏付けるような古代神話はみつかっていないのですが、講義でも時折顔を出す『史記』亀策列伝のなかに、宋国の元王の故事…

中国の仏教にも、呪法や占術などがけっこう含まれています。宗教と卜占とは一体どんな関係があるのでしょう。

日本で発掘された甲骨にも文字が刻まれているのでしょうか?

いずれお話ししますが、日本の甲骨には刻まれていません。弥生時代には多くの卜骨、古墳時代には卜甲、以降も近世まで亀卜が主流となって卜占が続けられてきましたが、文字を刻むということはありませんでした。実は周代以降、竹簡・布帛の普及や紙の発明に…

殷の脅威は戦車にあったとのことですが、なぜ殷のみが戦車の技術を有していたのでしょう。

戦車の技術を持つ部族や国家は他にも存在したかも知れませんが、牧畜を発展させ強大な政治力・経済力を持った殷が、次第に独占を図っていったものと思います。戦車の知識・技術を持つ部族へ圧力をかけ、場合によっては武力をもって破壊する。良馬の産出・育…

史料9・10・11で、卜占の結果「災禍がある」と出たにもかかわらず、それを回避する努力はしなかったのでしょうか。

これはけっこう根本的な問題ですね。祟ありとの占断に対して祭祀を要請する卜辞もありますので、史料9・10・11でも、何らかの形で回避が図られた可能性はあります。その際は、回避行動が正しく行われたので軽く済んだ、といった認識へ落着してゆくのだと考…

「祟」が毛深い豕のような獣を指す字だと知って驚きました。『もののけ姫』の祟り神もちょうどそのような形だったと思います。何か由来やモデルはあるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の古代では『書紀』や『古事記』に、荒ぶる神の表象として猪が登場します。『もののけ姫』のナゴの神、乙事主などは、それらに取材したものでしょう。『説文解字』は、タタリを示す字の一形態について「河内の名豕」と説明し…

卜官=史官が王の命令もなしに卜占をすることは許されなかったのでしょうか。なぜあえて関係のない卜占に際して、記録を付随させなければならなかったのでしょうか。

貞人たちが王を頂点とする卜府に所属し、亀甲や牛骨などの素材・道具類が同倉庫へ管理されるのだとすれば、それを卜官=史官が自由に用いるということは、なかなかに困難であったと思われます。確かに個人の邸宅などで灼甲・刻字することが可能だったかも知…

「世襲卜占集団」とありましたが、卜占に関わる人々はどのような存在だったのでしょうか。 / 上吉を多く出す貞人が厚遇された、といった事例はあったのでしょうか。

なぜ臨時の軍事、祭祀などに関する卜占は行われなくなったのでしょう。王の日常を記録するような卜占はなぜ減ってしまったのですか。