日本史特講:古代史(08春)

大伴家持の衣に朱雀の文様がみえました。都の朱雀大路もそうですが、なぜ朱雀だけが特別視されるのでしょう。

必ずしも特別視されているわけではないと思います。都の朱雀大路は、北方にいて南面する天子の、その南方に伸びている通りなので、南方の守護神の名を取って呼ばれているに過ぎません。ただし、図像として極めて優美であり、極楽にいるという仏教の鳳凰など…

物語のなかで出てきた、弓張りや足踏みといった行為は、一体何の意味があるのでしょう。

講義の最後にもちょっとだけ触れましたが、二つとも辟邪の機能を持つ呪術です。前者はあずさ弓といい、みえない矢を放って邪霊を威嚇します。後者は反閇といい、中国の治水王禹が全土を遍歴した際の歩みを真似たものです。大地を鎮祭し、行路の魔を祓います…

西の山が死者の世界であるのなら、東の山にはどういうイメージがあるのだろうか。

東は太陽が昇るところですから、神聖で生命力に溢れたイメージとなります。たとえば二上山に対応する三輪山は、もともと王権の太陽信仰の聖地で、歴代の天皇霊(天皇の霊魂というより、その霊的権威を保証するエネルギー)が宿り、皇位継承にも深く関わる存…

現在の葬儀に用いる清め塩のようなものを、古代日本でも使っていたのでしょうか。また、現代の葬儀のありようについて、式の執行後の行動について、地域ごとの相違などあるのでしょうか。

塩は様々な儀礼で用いますが、現在のような死のケガレを落とす代表的役割は与えられていません。清め塩が当たり前のように葬儀の現場で用いられるようになったのは、近世を通じて、都市部における死穢の除去法が平均化した結果でしょう。

インドのサティーのように、日本には殉死の風習はなかったのでしょうか。

『日本書紀』垂仁天皇三十二年七月己卯条の記述によれば、皇后日葉酢媛命の喪葬に際し、それまで行われていた殉葬の旧弊を改めるべく、土部を率いる野見宿禰によって、土人形たる埴輪が創造・設置されたとされています。しかし、考古学的に分析すると、人物…

死者の魂が浮遊する天にある太陽が、それゆえに特別な存在とみられたのだとすれば、アマテラスとの関係が気になる。太陽は霊魂の集合した姿だとはみられなかったのだろうか。

太陽にはさまざまなイメージが習合していると思われますが、確かに最高の霊格であるという認識はあったと思います。ただし、それが死者と直結するようなことは、中国でもなかったようです。しかし、『日本書紀』によるとアマテラスの霊威はすさまじく、最初…

いちど黄泉国から戻ってきた人は、最期にどのような理由で死ぬことになるのでしょう。

よみがえりは、不慮の事故や病没などの頓死がキャンセルされる場合が多いですね。本当の最期を迎える場合には二つのパターンがあり、ひとつは長寿を全うする場合、もうひとつは簡単な理由であっけなく死ぬ場合です。どの方向へ進むかは、よみがえりの段取り…

シャーマンは死者に対して力を持っているのに、どうして神に守ってもらわないといけないのでしょう。

シャーマンは下級の精霊を自分の手足として使えますし、他界の力とも交渉できます。しかし、当然のことながらその能力にも限度がありますし、そもそもその源は精霊との友好・契約関係や、上級の神格への奉仕によるところが大きいのです。個々の死者の力は小…

『古事記』景行天皇段の后妃と皇子たちは、「匍匐ひ廻りて」哭いて歌を詠むわけですが、それは人間と歌のなかの「匍匐ひ廻ろふ野老蔓」という植物と、アナロジカルに結びつけられるのですか。

「匍匐ひ廻る」こと自体は喪葬儀礼の一環で、『古事記』のイザナミ埋葬場面にも出てきます。一方の「野老蔓」は植物の生命力を示すもの、つまり死者の復活を願う類感呪術のように考えられています。しかし、地を這い身をくねらせる蔓のように激しい悲しみを…

祖父の戒名には「泰山」という言葉がありましたが、地獄へ行ってしまったのでしょうか。

そんなことはないと思いますよ。「泰山」は中国の代表的他界、霊山なので、単に魂の鎮まるところという意味で使っているんじゃないでしょうか。

オルフェウス神話と黄泉国神話を比較したとき、後者の方が気味が悪いのは、日本のホラー映画が恐いといわれるのと同じで、死に対して負のイメージが強いからなのでしょうか。

そうとばかりはいえません。授業でお話ししたように、やはり神話としての段階が相違するからでしょう。ギリシア神話が演劇としての洗練度を「美しい悲劇」の方へ高めているのに対して、日本の黄泉国神話の方は、国家的編纂事業とはいえ喪葬儀礼の近くに位置…

仏教では、朽ちぬ遺体を往生者と扱うとのことですが、ではなぜ現代の日本では火葬にしてしまうのでしょう。

当然、古代の中国でも日本でも、火葬は仏教に関わる葬法として実践されていました。往生伝の類をみますと、火葬にふすまでの殯の期間にまったく腐乱しなかったとか、芳香が漂っていたなどの言説がうかがえます。六朝から隋唐にかけて広まったとある仏教的奇…

朽ちぬ遺体の伝説について、それを発見した人は、そもそもなぜ墓を開けたのでしょうか。

確かに不自然な話ですね。伝説の類には、墓からいい芳香がしてきたとか、光を発したなどの奇瑞が描かれます。東ヨーロッパなど吸血鬼信仰の強かった地域では、死体が朽ちているか確認するため、一定の期間を置いて墓を開けてみることもあったようです。盗掘…

冥府に関する神話の比較で、「後ろをみてはいけない」というタブーが共通するのはなぜでしょう。

話型のモチーフとしては、「見るなの禁」と呼ばれています。これはひとつ冥界神話に限らず、他界や、そこからやって来る異人との交渉譚にはよく付随するタブーです。他界は現実世界と異なる秩序で成り立っているため、両者が平和的に交渉するためには幾つか…

王道平の話で、「三度名を呼ぶ」とありました。孔子も愛弟子顔淵の臨終に際し、三度名を呼んで慟哭したとされていますが、この「三」という数字には何か意味があるのでしょうか。

昨年の後期特講でも詳しく話題にし、『歴史家の散歩道』掲載の拙稿でも触れたのですが、「三」は宇宙全体を象徴する基本的な数字として世界的に多く認められているものです。数学的にも物理的にも真理として君臨する数字でありキリスト教神学では三位一体、…

世界各地で黄泉国神話に類似の物語が存在するのは、単なる偶然とは思えないのですが。

こうしたミッシング・リンクは、歴史上至るところに存在するものです。学問的な考え方としては、同じような環境・条件下では類似の思考・言説が発生するとみるか、どこかひとつの場所からの伝播とみるかの二通りがあります。二者択一というより、複合的に考…

文化人類学や神話学などで、今日読んだ神話などを構造的にパターン化できるのでしょうか。

中国の墓制について、魂が璧を抜けて自由に天界と往来できるとすれば、留まるべき安住の地はないということだろうか。

中国古代の霊魂観では、何ものからも解き放たれて行動できる自由なありようこそが、理想的な霊魂のあり方とされたのでしょうね。どこかに束縛されているのは、むしろ霊魂として健康ではなく、それらが人間に災いを及ぼす存在になるとみられたのでしょう。

階層秩序の具現化のために厚葬が行われたとのことですが、この頃は、死んだらみな平等という考え方はなかったのでしょうか。 / 始皇帝陵の内部に支配地の地理が造型されたということは、当時は俗世の権威が来世にそのまま引き継がれると考えられていたということでしょうか。

死後の世界は平等、という考え方はありませんでした。むしろこうした考え方は、世界的にも珍しい、新しいタイプの冥界観かも知れません。民族世界においては、1) 冥界は現世とはまったく逆の世界だ、という視点が多いですね。この世の生きとし生けるものは、…

馬王堆漢墓の朽ちぬ遺体は、「尸解仙」の観念で考えられた可能性もありますか?

馬王堆はともかく、確かに、不思議な死に方をした人の言説が、尸解仙と関連付けられたことはあったようですね。ただし、中国の神仙伝類では「衣を残していなくなっていた」と書かれるのが普通なので、朽ちぬ遺体と直接的に繋がる事例は知りません。とにかく…

最後に扱った『春秋左氏伝』の史料ですが、「制は要害の地です。虢叔がそれを頼んで身を滅ぼしたところですから、弟には相応しくありません」とありました。なぜ相応しくないのか、よく分からなかったのですが。

制は、殷を滅ぼした周の武王の叔父にあたる虢叔が、東の守りとして配置された要衝の地(河南省汜水県)です。以来、その子孫が守護してきましたが、B.C.767に鄭の武公によって滅ぼされました。荘公のいっているのはこのことですが、言葉の表面上の意味として…

『春秋』三伝は、どうして『春秋』に注釈を付ける必要があったのでしょう。

『春秋』の文章は簡略すぎ、追加説明がなければ意味が通らないほどなので、注釈を必要とするのです。儒教聖典の場合、こうした原テクストを「経」と呼び、注釈を「伝」といって区別します。前者は仏教の「経」典とほぼ同じ意味になります。簡略すぎるという…

日本で死者に「水」が関わってくるのは理解できるのですが、中国でも黄「泉」というのが少し意外です。なぜ泉と死者とが結びつくのでしょう。

これまで扱ってきた史料によれば、黄泉の「泉」は地下水脈のことのようですね。6/6の講義で扱った『史記』の始皇帝陵の記事でも、「三泉を穿ち…」といった表現が出てきます。井戸の問題もありますし、地下は水が湧くところだという認識と結びついているので…

位牌の由来の問題ですが、頭蓋骨を立てかけて霊を呼ぶということは、霊自体が常に骨に宿っているということではないのでしょう。しかし、位牌の方には、常に霊が宿っているというイメージがあります。心性の変化があったのでしょうか。

位牌も霊位や戒名・法名を記した札に過ぎませんから、霊魂が常時宿っているという考え方はないと思います。いつも仏壇に置かれており、故人の名前が書かれているので、礼拝する側が勝手に思い込んでしまうということでしょう。例えば浄土真宗という宗派では…

スサノオの話ですが、そもそも、なぜ杉が鬚に由来し、なぜ造船材に選ばれたのでしょう。何か説得的な理由があるのでしょうか。

スサノオの体毛の部位と生じる樹木に必然的関係があるのか、といわれると、なかなか容易には答えることができません。しかし、現代の私たちには分からないような連想があったのだろうと思います。例えば、『古事記』に出てくるオホゲツヒメ神話では、スサノ…

修羅で木棺を載せた船を引くという葬送儀礼は、木棺を古墳まで運ぶためのものなのでしょうか。それとも、船を引っ張ってゆくこと自体に意味があるのですか。

いい質問ですね。機能主義的に考えるなら、もちろん前者で、船に載せる形にしたのは副次的なものだということになるでしょう。しかし文化史的に考えれば、儀礼形態自体に意味があるのだ、ということになります。先日上梓した樹木婚姻譚に関する拙論でも触れ…

埴輪が手を挙げて馬を引いているということは、当時の馬も現在の馬と同じサイズだったと考えていいのですか。

日本古代の馬は、4世紀頃に朝鮮半島を通じて輸入された、モンゴル馬あたりが起源であると考えられています。東北には野生馬がいた可能性がありますが、現在の列島在来種はモンゴル馬と遺伝子的に一致するようです。サラブレッド等と比べれば小型種に属する…

現代の私たちにとってウサギは可愛らしいイメージですが、中国で月に住むヒキガエルが夜を象徴するように、日本のウサギも夜のように暗いイメージがあったのでしょうか。

直接的に夜を象徴するというより、やはり再生のシンボルだったとみるべきでしょうね。ウサギは極めて繁殖力が高いので、西欧文化圏においてはイースターと結び付けられる反面、性や肉欲の象徴ともされました。インドでは、自分の身体を犠牲にして仙人を救っ…

死者になった姿を見られたイザナミが、それを「辱」と感じたという部分は、儒教的な貞操観念の流れを考えてもいいのでしょうか。

貞操とはやや違うように思います。ここは解釈の分かれ目で、イザナミは腐乱した姿をみられたことを「辱」としたのか、それともイザナギに逃げられたことを「辱」としたのか。二者択一にしないでもいいのですが、いずれにしろ、その背景には生者の世界/死者…

破邪の文様や副葬品が描かれている装飾古墳の石室内には、今までの古墳と同様に、実物の副葬品はあるのでしょうか?

個別に判断すべき問題でしょうが、壁面に描画されているからといって、副葬品が少なくなることはありません。むしろ、凝った壁画を残す古墳は、それだけ先進的な文化を受容しうる、多くの工人・技術者を抱えうる政治集団のものでしょうから、それなりの副葬…