日本史特講:古代史(08春)

副葬品が多くなるのは、埋葬者に対して精神的な距離を置いていることへの「負い目」のようなものはあるのでしょうか。

どうなんでしょう。そういう個別の情念みたいなものが制度へ影響を与える、という視点は大切だと思いますし、考えてみなければいけないことですね。ただ、現在の考古資料や研究情況からみえてくるのは、むしろ、「後継者の権威付け」かも知れません。前代の…

琴を使った祭祀が具体的にイメージできないのですが、どのように使われていたのでしょう。

芸能と祭祀とは密接な関係があり、歴史の古い楽器はたいてい神祭りの道具に由来します。琴の使用は弥生時代まで遡ることができますが、『日本書紀』神功皇后摂政前紀では、神功が仲哀天皇に祟りを降した神を知るために数多の神霊を呼び寄せ、体に憑依させて…

装飾文様の円文は鏡を表しているとのことですが、そもそも鏡が円いのには何か理由があるのですか。

いろいろな考え方があるでしょうが、中国的世界観に照らして考えれば、天を象徴する道具、あるいは太陽を写した道具として円形を取るのだと考えられるでしょう。中国では天は円形、地は方形という、経験的観察に基づいた世界観があります。鏡は地上に置けば…

装飾文様から壁画への変化が、線刻から描画への変化でもあることに驚きました。線刻の方が長く残りますし手間もかかるので、装飾としては上等なもののように思いますがどうでしょうか。「進歩」とは簡略化なのですか? / 彩色と線刻では、描かれているものが同じ場合、同じ意味になるのでしょうか。

これは、線刻の文化と描画の文化とのモードの新旧に由来することと思われます。線刻は人間が文字や絵を描くときの方法として最もプリミティヴな方法で、身体と刻むことのできる硬質な道具があれば可能なワザなのです。それに対し、描画は顔料の作成を下準備…

福岡県や熊本県のお墓を多く取り扱うのには、何か理由があるのでしょうか。他の県の古墳には、中国の影響などあるのでしょうか。

九州の古墳を扱うのは、単純に、福岡・熊本以外の地域に類例として優れた装飾古墳がないからです。東日本太平洋側の茨城〜福島辺りは、九州と同様に装飾古墳が多く分布する地域で、七世紀以降に幾つかの類例を認めることができます。描かれた内容は、九州に…

石室は地震等の災害には強いのでしょうか。

古墳については、地震や大規模降雨の影響によって盛り土が地滑りを起こし、一部崩落する事例が多く残っています。現在一定の形状を保っているものでも、地層を分析してみると滑落や亀裂の痕跡を発見することができます。石室は地中にありますから地表面より…

古墳に女性が埋葬されることはよくあったことなのですか。

女性の埋葬には、講義で扱ったような渡来系文化との関係とともに、階層差の問題が関わってきます。古墳時代には、時代を降るに従って父系的な家族構成が一般化してゆきますが、それはまず社会階層の上層部において進行します。つまり、前方後円墳に代表され…

追葬とは何年後まで可能だったのでしょうか。現在の墓制と同じく期限はなかったのですか。

追葬が可能といっても、ひとつの横穴式石室に埋葬できるのはせいぜい2〜3名です(まれに、20名以上という事例もありますが)。それぞれが夫婦や兄弟、親子などの親族ですから、ひとつの古墳で追葬が行われるのはせいぜい数十年といったところでしょう。た…

黄泉国のものを食べると戻れなくなる、という発想の根源は何なのでしょうか。

確かではありませんが、ある社会なり共同体なりに新しい成員が加わるとき、そこで作られた料理を食べさせることで帰属の証とする通過儀礼が存在したようです。平安時代には「三日夜の餅」という儀礼があり、露顕(ところあらわし)という、現在の結婚披露宴…

黄泉国神話が日本最古の「呪的逃走」を示しているとすれば、その後に作られた昔話などは、この神話の影響を受けていると考えられるのでしょうか。

この神話だけに限定はできませんが、当然影響は与えたと思いますね。『古事記』は室町以降には広く読まれるようになってゆきますし、本文には同神話を載せない『書紀』も、一書第六として紹介しています。中世には『書紀』の神話を様々に注釈して再解釈し、…

イザナミはイザナギを追いかけてゆきますが、彼を襲ってどうするつもりだったのでしょう。この対立は、やはり生者/死者の存在の遠さから来ているのでしょうか。

黄泉の世界へ引き入れるためだった、と解するのが妥当でしょうか。イザナミもイザナギも、コトドを渡すときでさえ相手を「愛しき我が那勢命」「愛しき我が那迩妹の命」と呼び合います。イザナミも夫と一緒に暮らしたかったのでしょう。彼女が「吾に辱見せつ…

イザナミに死者への恐怖がみえるように、死者に対する態度は時とともに負の方向へ傾いていったのでしょうか。

縄文から現代まで一貫して死者が遠ざけられていったかというと、必ずしもそうではないと思います。もっと短いスパンのなかで、死者が親しい存在として扱われたり忌避され遠ざけられたりする。古墳時代においても、竪穴式石室に死者を「封じ込めていた」前期…

黄泉国神話の腐乱したイザナミの様子は、後世の死穢の最初の例なのでしょうか。

ケガレは確かにケガレなのですが、やがて、伝染の仕方や消滅期間等々が制度化される平安以降のそれと比べると、非常にプリミティヴで神話的な色彩を帯びています。これは最近、知り合いの日本文学者から教わったことなのですが、黄泉から帰って禊をしたイザ…

現在、子宮型の墓は沖縄に少数残るのみだと思いますが、なくなったのは仏教の影響でしょうか。また、日本の墓が現在のような形になったのはいつ頃ですか。

確かに、仏教的な他界観が〈死と再生〉の思想に与えた影響は大きいでしょうね。後に触れますが、性的な再生の概念は、輪廻や浄土往生のなかへ解消されてゆくと考えられます。女性のありようを罪業視したこともひとつの原因でしょう。しかし、日本の祖先祭祀…

追葬という発想はどのように生まれたのでしょう。また、どんな関係の人が追葬されたのですか?

基本的に、古墳は政治的首長が埋葬される墓なのですが、横穴式石室の導入により、その親族へ範囲を拡大して追葬が始まります。1)兄弟関係、2)父子関係、3)2)に家長の妻が含まれるものの3パターンが基本です。これは1)から3)へ、すなわち親族構造の父…

死者の国=玄室なら、「羨道」にはその国への憧れという意味もあるのだろうか。

どうなんでしょう。字義からすれば、恐らくは「墓室から溢れ出たような狭い余りの道」という程度だと思いますが。

横穴式石室は、完成までどれくらいの期間を要するのでしょう。

規模によって時間の長短はあるでしょうが、仮に多数の労働力が必要な作業を農閑期に限定した場合、数年に及ぶ歳月を費やしたと考えられます。構築過程の基本は、a)築造の諸準備(築造計画の立案・設計、選地、石材の選定、労働力の確保)→b)石室の基礎地形…

古代の人々は、女性の体内に子宮という器官があることをなぜ知っていたのでしょう。

同時代の中国医学では、すでに解剖学的知識はあったはずです。日本列島でも知られていた可能性はあります。しかし、子供を産む女性の腹部自体を袋、子宮と捉えていたと考えた方が自然かも知れません。

前方後円墳の形は、なぜ前方部分が特徴的に台形になっているのでしょう。

憶測ですが、祭祀を行うために巨大になっていったのと、やはりベクトルが円の中心へ収斂されていっているからだと思います。前方部分はやはり付属施設であり、すべては死者の埋葬施設に連なるものだという形状でしょう。

縄文後期の弧状配石では、柄鏡の円の部分ではなく弧に墓があったのに対し、前方後円墳では後円面白いところに気がつきましたね。部分に埋葬施設があるのは、何か思想の変化があったのでしょうか。

円の中心にはパワーの源が設定されていると考えられます。環状集落の墓地しかり、前方後円墳の円墳しかりです。弧状列席の場合は、柄鏡の部分に死者を祭祀するシャーマンが住んでいる。そういう意味では、祖先の力より、それをコントロールする宗教者の能力…

方形周溝墓や円墳の形状は、死と再生の円環と関連するのでしょうか。

円墳や帆立貝型墳には、縄文以来の円環形状へのこだわりをみてしまいますね。当然、縄文―弥生―古墳の文化が一繋がりに結合しているわけではないのですが、底流としてそうした発想は受け継がれているのでしょう。ただし、方形周溝墓に円環の思想を反映させて…

環状列石には、どのような石が使われたのでしょう。価値のあるものが使われたのではないでしょうか。

共通の特徴としてみえるのは、「川原石」であるということです。つまり、川の流れのなかで角が削られ、丸みを帯びた石です。やはり「丸」という形状に価値が認められたのかも知れませんが、「水」が重要な意味を持っていたようにも考えられます。前近代にお…

再生を促された死者には、もうエネルギーは残されていないと観念されたのだろうか。

これは憶測ですが、死という現象、死者という具体には、プラスのエネルギーの枯渇状態とマイナスのエネルギーの発露状態の二側面が観測されていたのではないでしょうか。ただこの二つはまったくの別ものではなく、相互に転換することが可能である。死/再生…

集落の中心に墓域を置いて、死者に対する恐れはなかったのだろうか。

まったくなかったわけではないと思います。しかし、共同体の祖先という発想が死者をより身近なものとし、円環という構造がマイナスのエネルギーをプラスに変える機能を担っていたのではないでしょうか。環状集落やストーンサークルが生まれ、そして廃れてゆ…

「人体の具体に固執する」ということは、エジプト等の死体のミイラ化にみられますが、肉内保存など徹底したものに限るのでしょうか。また、どの基準をもって「具体に固執」とするのでしょう。

講義で説明したのは、あくまで屈葬と伸展葬の違いにおいてです。屈葬はわざわざ遺体に加工を加えて意味を持たせるので、埋葬後もその姿形であることが重要だったと思われます。つまり、具体的な形に捕らわれているのですね。一方の自然葬は、遺体に無理な格…

一度墓から骨を取り出して再葬するという話で、沖縄の洗骨を思い出しました。沖縄も祖先祭祀を重視する風習がありますし、洗骨儀式をより重要なものとしているそうですし、最近は減ったようですが墓も本来子宮の形を模したものだったと聞きます。やはり洗骨も骨を抽象化し、信仰の対象へ変えてゆく儀式なのでしょうか。

沖縄の風習は、縄文時代の様々な遺習とよく似ていることが指摘されています。弥生時代、縄文系の人々や文化が次第に駆逐され、列島の南北の隅へ追いやられたのだという見解もあります。縄文/弥生の文化交替は、融和的に平和裡に実現されたことが分かってき…

古代の人々は、どうして死などの霊的なことについて考えたのか疑問に思いました。アニミズムの考えの源や原因は、研究されているのでしょうか。

前近代社会や民族社会において、宗教は現在の科学と同じような役割を果たしています。私たちはこの世界で生活を営んでゆくうえで、様々な疑問にぶつかります。なぜ太陽は朝に昇り夜に沈むのか、なぜ月は満ち欠けをするのか、なぜ雨は降ってくるのか。単なる…

「黄泉国の成立」の参考文献です。

シュヴァープ、グスターフ/角信雄訳 1988 『ギリシア・ローマ神話』1 白水社池上悟 1997 「古墳の墓前祭祀」季刊『考古学』59石井寛 2006 「縄文後期集落の構成と変遷―関東南西部と中部高地を中心に―」安中市ふるさと学習館『ストーンサークル出現―縄文人の…

リクエストがありましたので、寺野東遺跡の場所について掲示しておきます。

栃木県小山市梁。JR水戸線の結城駅が最寄りで、駅からタクシーで5分ほどとなります。下記URLを参照してください。http://www.adnet.jp/nikkei/shiseki/contents/083.htmlhttp://blog.adnet.jp/shiseki/index.php?ID=86

赤が逆に縁起の悪い色とされることもあると思います。私は字で書くときに赤で書くのはよくないといわれたことがあるのですが、これはやはり他界と密接に関わるため、プラス/マイナスの両義性を持つということでしょうか。

上にも書きましたが、そのとおりですね。赤い字で書くといけないというのは、直接的には墓碑の風習に由来するのでしょう。墓碑には存命者の名は朱を入れて書かれ、亡くなると白字に落とされますが、赤字の名には「いずれ亡くなる人」という印象が強いのだと…