日本史特講:古代史(14春)

世界各地で、下半身が蛇だったり馬だったりする絵が描かれるのはなぜなのでしょう。その動物のイメージに合わせて、何らかの文化的・歴史的背景が表れているのでしょうか。

半人半獣の想像力は、やはり人間と動物の能力を併せ持つ存在への憧憬に由来するものでしょう。それらはもともと神的なものでしょうが、ヒト至上主義が強くなってくると、逆に怪物へと貶められてしまいます。ギリシア神話のメドゥーサなどがよく例示されます…

災害への危機感が薄れていったからこそ、天変地異を神話のなかに取り上げるようになった、という理解でよいでしょうか。

それもあるのでしょうが、都邑水没譚から兄妹婚姻型洪水神話へ移行する際にみられるのは、洪水を物語の一要素として位置づけることです。つまり、神話の核自体は人類の再生にあるのであって、洪水にあるのではない。また、なぜ洪水が起きたのかという問題が…

レヴィ=ストロースの構造神話学を用いてレポートを書きたいのですが、二項対立の問題以外に注意すべきことはありますか。

やはり、神話が自然/文化の媒介として作用する、ということでしょうか。レヴィ=ストロースによれば、神話の構造が構築されるとき、人間は動植物の種の間にあるさまざまな相違を手がかりに用い、二項対立の図式を生み出してゆくとされています。例えばトー…

亀は比較的簡単に入手できたのでしょうか。

殷代甲骨には、武丁特殊記事刻辞と呼ばれる一連の刻み込みがあり、甲骨の来源と貢納、貞人・史官の署名などが記録されています。この刻辞は、後に卜辞の刻まれる面を避け、亀甲の場合は甲橋(腹甲反面)・甲尾(腹甲正面)・背甲(背甲反面両断縁辺)に、牛…

亀卜で占うのは災害に関するもののみで、他のことを占うには別の方法を用いたのでしょうか。

中国王朝においては亀卜が正式・正当な卜占であり、災害に拘わらず、王や国家の大事は亀卜によって占われていました。殷代などは王の一挙手一投足まで亀卜で占われ、また旬卜といって、10日ごとに王の吉凶が予知・確認されたりしていました。

卜占に関して、王には災害を予知する義務があったのでしょうか。災害予知が、王の存在意義なのでしょうか。

中国に限らず、前近代社会・民族社会における王とは、自然環境と密接に結びついた存在です。フレーザーの『金枝篇』によると、かかる王は自然、世界、宇宙と一体であるとみなされ、王の身体に異変の生じた場合には、同じことが世界に起きないよう殺害されて…

『捜神記』463で、嵐が40日間続いたと出てきますが、確かノアの洪水も40日間でした。「40日」には、何か意味があるのでしょうか。

ユダヤ文化における「40」という数字は、潔斎にまつわる聖数のようですね。ノアの洪水のほかにも、モーセが十戒を得るまでにシナイ山に隠っていた期間、イエスが荒れ野で断食をした期間として出てきます。また、イスラエルが荒れ野で放浪したのもの「40」年…

日本の亀卜は古墳時代に伝来したものと聞きました。江南地域に災害予兆も含め亀卜の伝統があるとのことですが、六朝の頃、江南と日本列島との文化的交渉は実態的にどのようなものだったのでしょうか。

古くは三国の呉の時代、赤烏年号を持った銅鏡が日本に伝来していますので、弥生時代末〜古墳時代の初めにかけて、江南地域との交流が存在したことは確かでしょう。その後、多少の断絶期間を挟みながらも、東晋、劉宋、南梁と、倭国と江南王朝との間には密接…

ネイティヴ・アメリカンのトーテムポールの「トーテム」は、授業で扱われているトーテムと同じですか?だとしたらあれは何を表しているのですか?

同じです。トーテムの語は、ネイティヴ・インディアンの「彼は私たちの同族だ」とする言葉から取られています。ただし、トーテム・ポールは部族の象徴や始祖神などを表現しているものの、必ずしもそれがトーテムであるわけではなく、正確な用語とはいえない…

朱が血の代替物である理由は、何か明確に分かっているのでしょうか。

朱=血を明確に結びつける史料はありませんが、赤色が境界性、辟邪性を強く持つことは、古代からの呪術・祭儀などではっきりとみてとれます。一方の血液も生命の象徴として、やはり呪術や祭儀において、朱と同じく境界的、辟邪的な機能を担っています。朱の…

中国においては天子の乗る車が桑で作られていたと聞いたのですが、何か関係はあるのでしょうか。

『三国志』の劉備の逸話に、少年の彼が将来天子となる望みを語る際に、「桑でできた馬車に乗る」という表現が出てきますね。しかし、いわゆる車駕が必ず桑で出来ていたかというと、そうでもないようです。講義でも紹介した蓬矢桑弓の祭儀が、もともとは男子…

人間が植物から生まれてくるということが、祖先としての植物がもう神格化された存在なのか、それとも実際の植物であったのか気になりました。

そのあたりの境界自体が曖昧である、ということなのでしょう。ウツシキアオヒトクサという名称など、人間は人間であると同時に草なのだ、ということを標榜していると思われます。

卜占に用いる亀の大きさには、何か規定があったのだろうか。

規定はありませんが、『春秋左史伝』などの記録によれば、大きな亀甲は伝説的な宝物として高い価値を付されたようです。ただし、殷代に用いられた亀甲は多くクサガメやハナガメで、せいぜい長さ20〜30センチ程度のものでした。

◎24では、蛇が洪水に強い影響を与えているようにみえます。蛇と水には何か関係があるのでしょうか。

蛇は、世界的にみて水神の代表的表象のひとつです。アジア地域では、低湿地、水沼、川などの主、もしくは神として、大蛇、ミズチなどがよく形象化されています。日本列島ではヤマタノヲロチが有名ですが、あれも出雲国の斐伊川とその流域自体を表象した神格…

龍神や亀というと青龍・玄武を思い出しますが、亀は占いに使われるものの神としての扱いをされていないのが不思議でした。それとも占いに使うということは、すでに神聖視されているということでしょうか。

亀卜の論理について伝える最古の文献、『史記』亀策列伝では、術者は亀卜を行う際、亀の精霊を祝福し予言を引き出す形で卜占を実践します。カミの定義が問題となりますが、易は筮竹に宿る植物霊に、骨卜・亀卜は骨・甲羅に宿る動物霊に働きかけ、人知を超え…

『捜神記』の洪水伝承に「石亀」が出てきましたが、これは現在奈良県の飛鳥にある亀石と、何か関係があるのでしょうか。

実は、飛鳥の亀石については、あれが亀であるかどうかも分かっていないのです。ですから、明確には繋がりを付けることができません。ただし、大和盆地も容易に洪水を起こしやすい地形ですので、後世には「亀石が動くと洪水になる」云々といった伝承が発生し…

動物が家や氏族の象徴とされる話はよく聞きますが、植物がそういう機能を果たすということもあるのですか。

あります。日本は比較的植物/人間の間が近しい文化で、『古事記』などでは人間のことを、ウツシキアオヒトクサと呼んでいます。また、異類婚姻譚についても、動物だけではなく樹木と結婚する話が列島中に残っています。戦国以降の武家のなかにも、家紋に植…

漢民族が龍トーテムということはありえないのではないかと仰っていましたが、どういう理由からですか。想像上の動植物ではトーテムにならないということですか。

一般的に、トーテムにはタブーが付きものです。例えば、熊をトーテムとしている集団には、熊を狩猟してはいけない、熊を食べてはいけないなどの、さまざまなタブーが存在します。想像上の生物となると、タブーがタブーとして働かないことになってしまいます…

歴史上、ヒト中心主義が勝利をおさめていってしまうのは、一体なぜだったのでしょうか。

勝利を収める、という表現が妥当かどうかは分かりません。人間が人間である限り、自らが生存してゆくうえで身心ともに快適な環境を追求しようとすることは、ある意味で自然なことです。しかし重要なのは、ヒトが構築した文化のなかには、そうした傾向を批判…

『捜神記』の洪水伝承を確認していったが、主人公はみな老婆だった。なぜ老婆でなければならなかったのですか。

主人公としての老婆は、やがて日本にまで受け継がれてゆきます。もともとの歴陽水没譚では、寡婦としての孤独な老婆(すなわち社会において最も弱い存在)が生き残る点が重要だったのだと思われますが、その後、告知主体=神的存在である翁に対応するものと…

水辺の都市に洪水伝承が多く存在しているとのことですが、例えばノアの伝説など、イスラエル周辺にそのような場所はあったのでしょうか。

『旧約聖書』創世記に収められたノアの洪水の伝承は、当初からユダヤ民族が持ち運んでいたわけではなく、西アジア発生であるとするのが通説です。すなわち、チグリス・ユーフラテスの洪水地域から発生した洪水神話が、ユダヤ民族に受け入れられたということ…

陰陽五行説の概説書でおすすめのものがあれば、教えてください。

日本の陰陽道も含めて理解できるという意味では、鈴木一馨『陰陽道―呪術と鬼神の世界―』(講談社選書メチエ、2002年)がおすすめです。

童謡が出てきましたが、『捜神記』のなかでは老婆のみが信じたような書かれ方をしています。実際は、あまり信用されない類のものだったのでしょうか。

流行している童謡を民衆がどのように受け取るか、という態度は千差万別であっただろうと思います。実際はそれを分析的に解釈できるのは、史官や陰陽家などの高度な知識を持った人々で、民衆の側で主体的に判断するということは少なかったかもしれません。民…

高誘注型の変化の問題ですが、城門の血が鶏から犬へ変わったのは、周辺の環境の変化の問題でしょうか。また、わざわざ門に血を塗る点は変化していないことから、犠牲の意味は重視されたとみてよいでしょうか。

指摘のとおり、鶏か犬かという区別はあまり意味を持たずに、「この種」の動物が犠牲に供されるという点が重要だったのでしょう。注意したいのは、鶏も犬も一面神聖視されていながら特別な存在ではなく、祭祀の犠牲としても下位ランクであったということです…

水の神聖視について、その鏡面的性格が採り上げられることはないのでしょうか。鏡や水が映し出す世界をもうひとつの別の世界と考え、鏡面や水面を境界とみるような考え方があってもおかしくないと思うのですが。

面白いですね。確かに鏡に映った世界を他界、もしくは他界への入口とみる発想は、西洋の民話・伝説やファンタジーなどでよく見受けられます。しかし、中国や日本では、あまり明確に対象化されないのも確かです。『抱朴子』跋渉篇では、山中の精霊や怪物と対…

『捜神記』の人/虎の変身譚について、中国の虎のイメージは凶暴で頭が悪いものだと以前聞きましたが、蛮族のイメージとも重なっているのでしょうか。

虎に対するマイナスのイメージは、虎害に苦しむ漢民族が意図的に作っていったものですね。実際に山中生活を行い、虎と共存していた少数民族には虎トーテムが濃厚に存在し、その強さや頭の良さを信仰しています。また、僧侶が山中修行をするようになった六朝…

説話に出てくる動物について、生態系のなかでの序列が反映しているように感じたのですが、今日みた『捜神記』では、別に影響していないようにも思われました。どうなのでしょうか。

『捜神記』に限らず、神話・伝説・昔話の類に出てくる動物には、生態系的序列はさほど反映されません。ただし、人間からみて注目すべき動物がピックアップされることは確かです。例えば、縄文の狩猟採集文化から存在したのではないかと推測される〈動物の主…

トーテムの話に関心を持ちました。動物を族霊とする部族のなかには、その動物との婚姻譚も同時に存在するのでしょうか。また、トーテムで用いられる動物、用いられない動物など、動物のなかでの神聖視/非神聖視の多寡はありますか。

確かに、虎トーテムには虎との異類婚姻譚、熊トーテムには熊との異類婚姻譚が多く残っています。どちらが男でどちらが女か、という差異は父系/母系/双系のなかで変化しますが、概ね虎にしても熊にしても、婚姻を結ぶときは人間の姿になっている点が注意さ…

『捜神記』の関連ですが、日本でも鬼が女や子供を山へ連れてゆき、妻にしたり子供を生ませたりする話があります。他にも、縄文人が山から下って来て、弥生人の女・子供を連れ去ると聞いたことがあります。山=野蛮人、平地=発展した民族という構図が見て取れます。しかし、桃源郷・蓬莱山など高いところは神仙界ともされていますので、山=野蛮人=神仙という関係が成り立つように思いますが、土俵が違うのでしょうか。

縄文人の話は完全にデマでしょうが、そういう話がまことしやかに語られること自体、平地民優勢イデオロギーが、我々を強く支配していることは確かです。これは、稲を税として選択した国家、歴代の王権・政権によって都合の良いように構築された幻想に過ぎま…

『捜神記』の話を聞くと、他民族への差別的視点が表れているのが感じられるのですが、柳田国男にも同じものがある、という理解でよいのでしょうか。

柳田国男は山人のあり方に希望を託していたことは確かですが、その表象に限界を抱えていたことも否定できません。すなわち、オリエンタリズムですね。ヨーロッパはオリエントに憧憬を持っていましたが、その表象自体が差別的であった。それと同じことです。