日本史特講:古代史(14春)
このあたりは、ポストモダン思想のなかで長い間議論され、歴史学でも隣接諸科学との間で大いに意見交換がなされたところです。実証に自己のアイデンティティを求める歴史学は、この面では総じて保守的でしたが、とくに日本の歴史学界は異常で、今でも充分な…
皇族が出雲大社の本殿に入れないのは、神話の関係からではありません。『古事記』に語られる国譲り神話では、オオクニヌシはその条件として天つ神と同様の宮殿で祀られることを要請し、受け入れられます。つまり、オオクニヌシを祀るのは天つ神の側であり、…
龍については、弥生時代の土器にその存在が確認される、との説があります。その図像は足の生えた百足のようなものであり、妥当であるかどうかは未だ分かりませんが、古墳時代の段階で、そうした神獣に関する情報が伝来していたと考えてもおかしくはありませ…
森林については、やはり水辺と同時期から信仰の対象にはなっていたものと思われます。半定住は、魚介類の栄養素・カロリーだけではなく、土器の発明に基づく煮沸やアク抜きによって、ドングリや胡桃、栗などのでんぷん質堅果類を消化できるようになったこと…
中国の場合は、無常観とはあまり関係がありません。むしろ、今の苦難の時代をリセットして、新しい世界が来ることを希求するものです。皮相的なところでは現王朝が妥当され新たな王朝が誕生すること、より深いところでいえば、現在の時代・世界そのものが終…
「経済的理由」にしろ「民俗的理由」にしろ、やはり生存するという本義の表現の相違なのではないかと思います。三陸地域で生きてゆくためには、これまで関わってきた生業=漁業を続けざるをえない、土地で生きてゆくうえでは、大地と一体化した祖霊との繋が…
斎藤英喜さんはそういう見方ですね。ぼくは、オオクニヌシの神格にしろ、神話にしろ、幾つかの在地の神々のものを集めて合成したものであると考えているので、それが成巫譚のようになっていること自体に関心があります。意識的にそうしたのか、あるいは自然…
たくさんの事例が確認されています。沖縄のユタと並んで最も著名なのは東北のイタコでしょうが、類似の口寄せ型としてやはり東北のゴミソやカミサマ、その他各八丈島や青ヶ島など島嶼部のミコにも独特の宗教文化が残っています。特定の祭礼の折のみに当番制…
有名なのは、柳田国男の「一つ目小僧その他」にみられるテーゼでしょうか。年中行事的な祭祀において、神の依代としてその中心となり、最後には殺される神主を聖別しておくため、片目を傷つけるというものですね。この考え方については種々の批判があります…
日本の民俗学、あるいは宗教史研究でも、女性=シャーマン(依代)、男性=審神者(さにわ。依代の神語りを、常人に分かるように通訳する存在)のペアによって宗教儀式がなされる、といった考え方が根強くありました。事実、歴史資料においても、あるいは現…
神がかりの儀式なりそれに類する治療の類は、まず術者と患者、あるいはその場に居合わせた人との信頼関係、儀式が始まって終了するまでの全行程に参加すること、そして場の空気感を共有することが必須でしょう。その場に居合わせなければ、あるいはその場に…
もちろん、そうした考え方もできるでしょう。巫病とは力のマイナス面ですから、シャーマンの力自体は極めて両義的なものといえます。まさに「境界の力」なのですね。ですから現実の場合、師匠となるシャーマンの指導をしっかり受けなければ、コントロール自…
すべてがそうとはいいきれませんが、困難を乗り越えることで世界との分断を回復する、精霊との交通を可能にする、あらゆる人の苦しみや痛みに共感する、そのような存在になったものとして尊敬されるわけです。例えば巫病の症状などは、本当に想像を絶します…
構造主義の考え方では、人間は現実世界から自分にとっての環境を構築してゆくとき、二項対立のモデルを使って世界を分節すると考えられています。確かにそうした視角でみてゆくと、ヨーロッパ以外の前近代社会にも、多くの二項対立的構図をみることができま…
男女の性愛を比定するようなベクトルは、神話のなかでも後世的なもの、国家が国民のアイデンティティーを維持・強化すべく作り上げた段階の神話や、倫理や道徳が意図的に盛り込まれた芸能・芸術段階の神話などにみられます。授業でお話ししたオイディプスな…
我々の意識や心理が社会的なものである以上は、記憶の想起も常に社会的にならざるをえません。ふとした昔の個人的体験の想起も、まずなぜその想起の機会が与えられたのか、その機会になぜその記憶が結びつけられたのか考えてみると、現在の自分が置かれてい…
ヨガはサンスクリット語のYoga、漢語では「瑜伽」と書きます。原義は「結びつけること」、自己と世界、法、超越者との合一を図る瞑想行で、仏教に至って大きく発展しました。広義においては、日本でいう坐禅に相当します。中国に仏教が伝来した3〜5世紀頃…
武術の身体として鍛錬されたものとしては、そのような説明の仕方になるでしょう。しかし、実際には刀を使用しない農民、町民らも同じような歩き方をしているので、全般的な説明にはなりえません。一般的にナンバ歩きやナンバ走りは、西洋的な歩行・走行と比…
とくに実験のために撮影された映像ではなく、撮影された時期や地域、その動機などもさまざまに異なるフィルムです。それゆえに、かえって非西洋的歩き方の普遍性が浮き彫りになっているわけです。
やはり、歴史学者でもありフロイト研究者でもある、ピーター・ゲイの一連の著作をお薦めします。まずは、『歴史学と精神分析―フロイトの方法的有効性―』(岩波書店、1995年)でしょうか。個人の主観的構築物にすぎない歴史叙述が全人的価値を持ちうるのはな…
初期のフロイトは、無意識の欲動を性に基づくもの=エロスとのみ考えていましたが、後期にはその逆のベクトル、死の欲動=タナトスも存在するとの結論に至ります。第一次世界大戦から帰還した兵士たちを治療していたフロイトは、彼らの語る悪夢から、夢を無…
成長過程で誰しもが一度は経験することでしょうが、自己に対する防衛意識が過度に働いている点は否めないかもしれません。自尊心と自負が傷つけられ、自分にとっての世界や価値観が根底から崩されることを忌避するという防衛機制ですね。例えば学問の世界で…
この問題は、むしろエディプス・コンプレックスの枠組みのなかで対象化されています。つまり、異性の親との一体化を求める子供の行為は、同性の親からの去勢恐喝=虐待を呼び起こし、結果として同性の親へのアンビバレンツな感情を喚起し構築してゆくという…
細かな相違点を挙げればきりがないでしょうが、最も対照的な点は、やはりユングが無意識を集合的に捉えているのに対し、フロイトはあくまで個人心理の成長過程において把握していることでしょう。ユングは集合的無意識下にある〈元型〉が人間の心理を規定付…
異性の親への一体化欲求や同性の親への愛憎も無意識の欲動の発現ですが、この経験と克服の過程で、その性愛を抑制しようとする心理機制や罪悪感が醸成され、道徳感・倫理感の中核を形作ってゆくと考えられています。その過程においては種々の葛藤が生じ、場…
グリム童話とは、本来はグリム兄弟がドイツで収集し整理した民話・伝説の類を、子供が読むおとぎ話として改変したものです(そのプロセスについては批判もあるので、ジャック・サイプス『おとぎ話の社会史』〈新曜社、2001年〉など参照)。彼らの調査・研究…
ダンテのような優れた芸術家といえど、時代や社会の規制から完全に自由ではありえません。彼の創作活動は、彼がその成長過程において学んできた種々の知識、経験に基づいて構築されたものです。よって、『神曲』に描かれた世界は、当時の時代・社会の産物で…
広範囲に及ぶ同一の自然現象が生じた場合、それに関わる神話が多くの地域で語られ出すことはあります。日蝕を表象した太陽の消失する話、皆既日蝕に基づく有翼日輪の普及などはその一例でしょう。また、洪水による世界の滅亡と人類の再生を描いた洪水神話も…
「蛇」は説明しやすいですね。蛇は、その脱皮をするという性質や低湿地に棲息するという生態から、前近代社会においては多く〈不老不死〉や〈死と再生〉の象徴、あるいは水の神などと捉えられています。とくに前者の性格は重要で、神話的世界においては、多…
とにかく、文化が構築されるうえで、植生が衣食住全般の基盤になるからですね。衣服はもともと樹木・草木の繊維から作られますし、食事においては根菜・野菜・木の実など、やはりその植生に基づく食べ物が提供されます。住空間が、樹木をその建材として用い…