日本史特講:古代史(15春)
六朝の志怪小説には、『捜神記』のように民族誌的感覚で読めるものから、『幽明録』や『宣験記』、『冥祥記』といった仏教系のものまで、たくさんの種類のものが作られました。しかし、上にも書いたようにその大部分は散逸してしまっています。魯迅は『中国…
現実はもう少し複雑です。もともと神話や民間伝承、世間話などを対象としていた志怪小説は、仏教の影響を受けた仏教系志怪小説が生み出される過程で、上記に説明した説話のニュアンスを強めてゆきます。つまり、意図的なフィクションの度合いが高まるという…
「説話」とは、もともとは仏教の教えを譬喩を使って説明した物語のことをいいます。大乗仏典にはこの手のエピソードが多く収められていますし、釈迦の前世譚であるジャータカなども、説話の一種といえるでしょう。しかし、東アジアにおいて実際に作成されて…
確かに、難しいでしょうね。秦人というのは西方地域、胡族は北方遊牧民なので、話をしてみれば言葉遣い、イントネーションなどで判別できるのだろうとは思いますが、いずれにしろ曖昧な要素が強い。ゆえに差別的なニュアンスが強いのだ、ともいえそうです。
そうですね、東アジアに留まらず、案外世界的に確認できる事例なのではないかと思います。ジェームズ・フレイザーによる呪術の類別に、「類感呪術」と「感染呪術」があります。前者は類似したものはお互いに作用を及ぼすという思考、後者は一度接触したもの…
身を隠すということは空間の問題になりますので、空間の位置を特定するツールとしては、やはり中国前近代では六十干支による方角指定が一般的なのだと思います。これは現在の風水にも流れ込んできますが、宅地から墓地の占定にも用いられる知識・技術です。…
もちろん、それはそうだろうと思います。もうひとつ学説として存在するのは、葦原が日本の古代国家の故地のひとつともいえる、難波の低湿地の風景だったのではないかということですね。これは、古代王権の発生をどのように考えるかにも左右されますので、普…
前代/近代という捉え方は、早くから成立していたと思います。例えば、漢代に『史記』が作られる歴史観を考えてゆくと、夏・殷・周という聖代、さらにそれ以前の神話的世代を、現在と対比する見方が存在した。『春秋』段階でも、先祖の時代のあり方を現代の…
度々話に出て来る陶弘景の茅山道教は、女性修行者の多い教団でした。その思想を詳細に述べた『真誥』という経典によりますと、そもそも茅山道教の始祖で昇仙して神になる南岳魏夫人自体が女性であり、他にも神仙世界で役職につく女性が多くみられます。むし…
中国での神霊は、本来人間を超越した存在でしたが、秦の始皇帝が「神」を名乗り「神殺し」を多々行ってから、漢代以降、人間化が進んでゆくことになります。天界にも冥界にも人間世界の秩序が投影され、同様の国家機構が存在すると考えられました。地上の王…
非常に近代的な説明の仕方になりますが、例えば木々が鬱蒼とした景観が連綿と続いていると、どこも同じような印象になってしまいランドマークを定めることが難しい。そのようなとき、樹木から岩肌が露出したような場所があると、心理的に記憶に残りやすくな…
国立歴史民俗博物館の松尾恒一先生が製作した、『薬師寺 花会式−行法と支える人々−』です。非売品ですので、頒布を受けた人、施設しか所有していないものです。
いわゆる「古小説」というジャンルは、novelの訳語に相当するような近代小説ではなく、世間話や噂話、伝承など広い範囲の物語(ナラティヴ)を意味します。六朝には、主に志怪、志人の2つのカテゴリーがあり、前者は怪異譚、後者は人物の逸話を収録していま…
儒教や仏教と異なり、日本には道教が体系的に輸入されませんでした。というのは、六朝以前の道教が多く民衆反乱の温床となったためです。よって道教経典は、日本へ入ってこなかったのです。しかし、中国道教は医書や仏書とも融合していましたので、断片的知…
確かに古くから、下痢や嘔吐を伴う病は悪い水によるとの認識があり、それによって水によくないものが存在する、という発想が生まれてきたことは確かでしょう。あとは、洪水に関する経験ですね。このあたりは以前何度か書いたことがあるので、例えば『歴史家…
最後に少し扱いたいと思うのですが、『抱朴子』は日本ではよく読まれます。修験道には、仏教や陰陽道が影響を与えていますが、これらを介し、間接的には大きな影響があったと考えるべきでしょう。
今回授業でもお話ししましたが、主に陰陽五行の論理に基づく干支で決められます。例えば保日、伐日などですね。十干を五行で分類すると、木=甲乙:火=丙丁:土=戊己:金=庚辛:水=壬癸。十二支は少し複雑で、2つ進むごとに「中央」を意味する土が入り…
のち、山中に道教の教団などが作られてゆくと、ひとつの町のような様相が作られ、日常的作業も分担されるようになってゆきます。しかし葛洪のなしたような山林修行は、主に個人、あるいは数人でなしたものでしょうから、もちろん自炊が基本だったでしょう。…
誤解を与えたかもしれませんが、これは単なる譬えでしょう。鮮やかな色彩の染め布を作り出すためには、目の悪い者にみられてはならない、そういう習俗があったものと思われます。日本の言霊信仰などとも似ていますが、つまり「真理の分からないものに貶され…
水銀については、もともとその消毒採用、防腐作用などから信仰が始まったものとみられます。それには、いわゆる「朱」色が持つ辟邪のイメージも影響したでしょう。五行思想では、金生水、すなわち金気は水気を生じると考えます。中国の戦国時代に遡る竹簡「…
中国では、大乱期に徴兵ではなく募兵を行うことがよくみられます。『晋書』列伝の葛洪伝によると、「太安中、石冰乱を作す。呉興太守顧祕義軍都督と為り、周玘等と兵を起こして之を討つ。祕、洪に檄して将兵都尉と為し、冰の別率を攻め、之を破り、伏波将軍…
話が大変に長くなってしまうので省略しましたが、実は、文官的様相を帯びた四天王像(正確にいうと、このタイプは広目天に限定されます)は、日本列島独自の様式と考えられています。作例としては法隆寺の四天王像があり、かつて存在した四天王寺のそれも、…
実はこの問題は、以前に論文で書いたことがあります(「神を〈汝〉と呼ぶこと」、倉田実編『王朝人の婚姻と信仰』森話社、2010年)。中国道教などでは、神霊を名前によってコントロールし使役しますので、「汝」という、目下の相手に用いる代名詞で呼びかけ…
宮廷行事として行われる追儺は、基本的に疫鬼を追却しながら練り歩くものですので、踊りはしません。しかし、中国で民間習俗として行われている場合の儺の場合は、舞踊を伴うものになってゆきます。いわゆる儺戯ですが、近年中国でも少なくなってはきている…
うーん、武道に真理があるなんていいましたかね。もしいったとすれば、それを扱う人たちの内的心理についてでしょう。ぼくはポストモダン論者ですので、唯一絶対の真理など最初から否定しています。真理は指向性としては仮構されるが、実体的なものではない…
王朝交替における五行の意味づけは、かなり政治的・恣意的なものです。主に、これから行おうとしている革命、あるいは新たに成立した王朝を正当化するために、わざわざこの論理に当てはめて作られるのです。
すでに以前のプリントで史料を掲げておきましたが、『論衡』以前に、戦国時代末期の睡虎地秦簡「日書」甲種や、『礼記』に桃の弓が出てきます。また、『古事記』黄泉国神話は古墳の思想を背景に形成されていると考えられますが、当時の古墳は中国や朝鮮から…
赤は元来マージナルな、両義性を持つ色です。神聖性を表すものとして辟邪の能力も期待されますが、逆に気味悪がられることもある。方相氏の赤い喪は、神社の鳥居、寺院の欄干、地蔵の前掛けなどと同じく辟邪の機能を示しています。赤鬼は憤怒のイメージでし…
古代・中世は、現在より、「みえないもの」に対する想像力、信頼性が高かったものと思われます。いわゆる神仏も、像としては存在していたりしますが、その働きは肉眼では捉えられない。けれども確かにある。そもそも日本列島の神祇信仰は、ものごとを生成す…