歴史学特講(17春)

コシャマインの戦いで、以前レポートを書こうと思ったのですが、よい史料を見つけられませんでした。なにかありませんでしょうか。また、概説書でよいものがあれば教えて下さい。

授業で説明したとおりですが、日本史リブレットなどが、全体を時間をかけずに読むのには手頃です。関口明他編『アイヌの歴史』も、教科書的な簡便な記述で、古代から近現代に至る長い歴史を整理しています。コシャマインのよい史料というのは、実はなかなか…

白神山地も伐採されたのなら、今の同山地の森林はなぜ成立したのでしょうか。

ちゃんと説明していなかったかもしれませんが、中近世移行期までの白神山地は、針葉樹林主体、ブナなどの落葉広葉樹林がそれに混在する形の植生でした。それが、略奪林業によって針葉樹林が伐採された結果、用途のないために残されたブナ林が成長・拡大し、…

「流言」はリュウゲンと読むのではありませんか?

辞書をみてください、ルゲンまたはルゴンとも読みます。確かに、一般的な読み方ではないかもしれませんが。ぼくは僧侶なので、漢字を呉音で読む癖がありますが、呉音読みは漢音読み、唐音読みよりも古い読み方であるだけで、間違いではありません。

田沼意次の提唱により、被差別民3万人を蝦夷地に送って開発させる計画があったとのことだが、なぜ被差別民のみを植民しようとしたのか。

やはり、蝦夷地の厳しい自然環境を考慮しての差別的措置でしょう。さらに、3万人にも及ぶ一般農民を移住させれば、諸藩の財政が立ち行かなくなります。生産活動に従事していない被差別部落の人々を「駆使」するのが、最良の方法と考えられたのでしょう。

アイヌは抑圧されてきた人々だと認知してしまっていたが、少なくともクナシリ・メナシ以前は、そうではなかったといえるのだろうか。 / クナシリ・メナシの戦いは、シャクシャインの戦いに比べて規模が限定されていたと思うが、これは蝦夷地の植民地化が進んだためだろうか。

アイヌの交易は、樺太アイヌや千島アイヌと連携しつつアムール側流域の山丹交易とも結びついていましたので、松前藩としては彼らを必要以上に抑圧するのは、手の届かない樺太や千島との関係悪化も招き、得策ではなかったと思われます。最上徳内らが調査した…

シャクシャインの戦いで鷹匠や鷹待が殺されていますが、それはなぜですか。戦いにおいて重要な役割を持っていたから殺されたのですか。

鷹匠や鷹待は、戦さとは関係がありません。彼らが使う鷹は鷹狩りの鷹で、高貴な人物への、あるいは高貴な人物間の贈答品として用いられます。これもアイヌにとっては重要な交易品であったわけですが、和人の鷹待が直接蝦夷地へ入り込み、彼らの狩猟のルール…

シャクシャインの戦いの際、松前藩による植民地化が進行しつつあったとのことですが、狩猟を行うアイヌにとって、土地の所有とはどのようなものだったのでしょうか。

北海道旧土人保護法のところでもお話ししましたが、アイヌは土地所有の観念を持っていません。より厳密にいえば、狩猟や漁労の場として活用するそれは共同体所有であり、個人の所有ではないのです。松前藩やその許可を得た承認、金掘人夫、鷹待らが押し寄せ…

松前藩の行動は目に余るものがありますが、幕府はなぜすみやかに直轄地化しなかったのでしょう。もっと早くすべきだったのではありませんか。 / 松前藩の横暴は、藩の性質として何か特別なものがあったのでしょうか。

やはり、前回の質問に対しても述べましたが、幕府では田沼意次頃に至るまで、蝦夷地を日本領とは一切考えていなかったということが重要です。それはある意味で松前藩も同様であり、いわゆる領域支配は行っていなかった。田沼の行った勘定奉行普請役、最上徳…

松前藩は、アイヌとの軋轢においてだまし討ちなどの所行が目立つ気がします。クナシリ・メナシの処理においても、約束を反故にして全員処刑にしていますが、「やられたからやり返す」以外に、何か根源的な理由があったのでしょうか。

先行の研究書では、「松前藩の所行は戦国大名として特別異常であるわけではない」という表現をしています。確かに、だまし討ち、皆殺しは、戦国時代の各地にみることができます。ただし、アイヌ社会においてはそうした所行は一般的ではなく、それゆえに何度…

松前藩の場所請負制について、自分たちは場所(商場)に赴かず承認たちに行かせる理由が、いまひとつよく分かりませんでした。危険というだけなのでしょうか…。

蝦夷地は松前藩の領土ではなく、その土地が家臣らに分割されているわけではありませんので、彼らは基本的に城下町に集住しています。アイヌの領域に設定された場所=商場における交易権が知行として与えられたといっても、まずは交易に必要な物品を確保し、…

蠣崎氏が松前氏と名乗るようになったのは、何かメリットがあったのでしょうか。

どうなんでしょうねえ。蠣崎はあくまで武田信広が女婿となって嗣いだ氏姓であり、檜山安東氏の分家を意味しているので、豊臣・徳川から独占的権益を承認されたことを契機に、安東を宗主とする血族関係から独立する意味で、「松前氏」を名乗ったのではないか…

蠣崎氏は、豊臣/徳川から朱印状や黒印状をもらう前からアイヌと交易をしていたのに、わざわざ許可をしてもらうメリットはあったのですか。 / 朱印状、黒印状の違いはなんですか。

統一政権の認可ですから、当然必要です。蠣崎氏が特別にというわけではなく、各地の大名たちが、天下人に追従することで本領安堵を求めたのと、まったく変わりません。承認を得ずに交易を続けることは統一政権に逆らうことであり、また場合によっては政権の…

サルガンジュイは北京の言葉を話したとのことですが、嫁いでからも、常に通訳が付いていたのでしょうか。

アイヌの人々は満州語が読めたのでしょうか。

清朝の役人と密接に交渉するような経験を持っていた者、そうした立場にあった人間のなかには、満州語を介する人もいたでしょうが、やはり一般的ではなかったと思われます。ましてや文字については、アイヌ自身が文字を使用しない人々ですので、読み書きでき…

樺太アイヌと北海道アイヌとでは、共有する文化は若干異なるのでしょうか。

とあえずは、地域的偏差、すなわち方言ということで説明できそうです。北海道アイヌは和人との接触、樺太アイヌや千島アイヌは他の北方狩猟民や漢人との接触が多く、それゆえに相手の言語や文化にも大きく影響を受けたと考えられます。『皇清職貢』の「庫野…

サルガンジュイについてですが、辺境の少数民族のもとに嫁いできた女性たちは、どのような気持ちだったのでしょうか。女性の一生として、肯定的にみられていたのでしょうか?

サルガンジュイとなった女性たちの父親は、三等侍衛、護軍参領、前鋒、馬甲、驍騎校、委署親軍校などとなっていますが、これらはほとんど禁旅八騎、すなわち北京において皇帝を守護する親衛隊の一員です。彼女たちにとって、辺境の有力者の妻になることは、…

アイヌらが交易品とした皮1枚は、現在の貨幣価値にするとどの程度になるのでしょうか。

地方によって、品質に基づくかなりの相違があり、樺太のクロテンの毛皮は、北海道のそれの4倍の価格であったといわれています。近世の貨幣換算記録(松前藩の買い取り価格)が残っているものでも、やはり樺太が最も高価で121.5文、十勝では32文、根室や釧路…

海鹿の皮や海豹の皮は、道具だけではなく、衣服には使われてなかったのでしょうか。

これまで指摘されてきた史料では、天文20年(1551)頃、若狭守護武田義統が、室町将軍足利義晴にラッコの革袴を献上していることが分かっています。若狭武田氏は、蠣崎=松前氏の祖武田信広がその故郷であり、嫡流と語ったところですので、ラッコの献上につ…

アイヌ社会で、狩猟―加工―交易などの生活を統括するリーダーが出てきたとあるが、それはどうしてですか。

アイヌ社会が交易に対する依存度を強めてゆけばゆくほど、交易品と効率的に生産する必要が生じてきます。クロテンやラッコの毛皮などは、自分たちで消費するために狩猟・生産する場合と、交易品として狩猟・生産する場合とでは、維持・確保しなければならな…

何度も反乱を起こした樺太アイヌに対して、モンゴルの支配が寛容だったのはなぜでしょうか。

中華王朝にとって夷狄とは、その未開性・野蛮性を強調することで自らの正当性を喧伝する材料ですが、同時に皇帝の徳を行き渡らせ文化化してゆかねばならぬ対象でもあるわけです。また、中国のような広大な領土を持つ国においては、辺境に中央地域と同じよう…

モンゴルの樺太遠征において、彼らは骨嵬を九州で抵抗していた幕府軍と同じ「軍」とみなしていたのでしょうか。 / モンゴルの樺太遠征において、骨嵬は吉烈迷を圧迫し、元朝に救援要請をしたというのは、攻め込まれた吉烈迷がしたのでしょうか。元朝は、吉烈迷も制圧したのですか。

蝦夷地に暮らすアイヌを、13〜14世紀の段階で本州以南の「日本」と同一視する発想は、周辺の諸国においてはなかったと思います。やはり同時期に書かれた日本地図「行基図」にも、樺太はもちろん北海道すら描かれていません。中央政府すら、19世紀前後までは…

マイノリティーが人数の多寡ではないことは分かるのですが、実際の事例となると思い浮かびません。 / 例えばアメリカの、数では多数派のアフリカ系アメリカ人などは、マイノリティーになるのでしょうか。

この2つの質問は、質問/回答の関係になっていると思います。マイノリティーとは非常に相対的な概念なので、抑圧がどのような局面・情況において起こっているのかが重要です。例えばぼくが調査に訪れたことのある中国雲南省の麗江では、納西族ら少数民族が…

アイヌの人々への先入観がありましたが、彼らはただ弱者として国に服従していたわけではないことに驚きました。こうしたマイノリティーに対する先入観は、どこから生まれるものなのでしょうか。

重要なことですね。アイヌの人々に関しては、どこかで「土人」表象が刷り込まれているといえそうです。ぼくらの子供の頃は、ふつうに「土人」という言葉がまだ使われていましたが、1980年前後でしょうか、差別用語として公には使用されなくなりました。「土…

『夷酋列像』は、初めから美術品として作られたものなのですか。榎本がフランスに渡したとすれば、それは珍しいものだったからなのでしょうか。

描かれ方からすると、美術品的位置づけが濃厚であったと思いますね。少なくとも、単なる記録ではない。松前藩がアイヌを従えている状態を、喧伝するために描かれたのだと思います。次回にお話しできると思いますが、清朝に、『皇清職貢図』という書物があり…

民族は「血」ではなく、社会や文化を共有する人々ということですか。とすると、宗教のように「民族を抜ける」こともあるのでしょうか?

ありえますが、実際はそう多くはないでしょうし、古い時代ならばありえなかったでしょう。「民族」が社会的・文化的概念であって生態的概念ではないというのは、あくまで客観的な分析対象として、ということです。例えば、56の民族がひしめく中国など、人種…

児玉作左衛門によるアイヌ遺体の収集は、戦後も行われていたとするなら、それはGHQ統治時代に行われたのでしょうか、それとも占領終了後でしょうか?

記録に残っているところでは、GHQによる占領の終了後、少なくとも2ヶ所で北海道大学による墓地発掘が行われています。ひとつは、1964年の、江別市対雁地区。千島樺太交換条約の締結で、明治政府が樺太南部のアイヌ108戸841人を同地区へ強制的に移住させたが…

1948年に制定された「優生保護法」について調べているのですが、これも「旧土人保護法」同様に差別感のあるものでしょうか。

妊娠中絶の権利、あらゆる個体生命の尊重という点が密接に関係してきますので、一概に価値判断を下すことは難しいですね。例えば、時代性の問題。東京大学の東洋文化研究所の所長を務め、国立民族学博物館の創立にも加わった文化人類学者泉靖一は、朝鮮半島…

適切な表現かどうか分からないのですが、アイヌ語を他の方言と同じだと考えると、同じ日本人なのかなと思います。差別されたアイヌ民族は、抵抗や反乱はしなかったのですか。 / 本州で生まれた人間が、アイヌ民族や沖縄の人を同じ日本人だと思うことは、よくないことですか。

まず、国民国家の主権概念としての「日本国民」と、民族文化的要素を包含する「日本人」という語を、きっちり区別して議論しなければなりません。そのうえで、彼らの主体性に立って、ものごとを判断すべきです(アイヌ語については、いわゆる日本語とはかな…

日本は明治以降万博に出展し、先住民族の文化としてアイヌの展示を行ったとされています。なのに現在その先住性を否定するというのは、ダブル・スタンダードで違和感を覚えました。

確かに、「先住性を認めるか否か」という点では、180度意見が違ってしまっていますね。しかし、差別性という意味では、同じ構造を抱えています。先住民族としてのアイヌ文化を「展示」するということは、実はこの時代、優生学的な差別思想を含んでいるのです…

たしかに先住民族に対する政府の対応はよくないものだと思う。しかし私は、阿寒湖にあるアイヌコタン村へ興味本位で行ったことがあるが、とても不気味で二度と行きたくない触れたくないと一種の恐怖を感じた。これが昔もそうだったら、支配し和人化したくなる気がした。みんなも、まずアイヌを体験してから意見をいうべきだと思った。

うーん、難しいですね。傷つかずに聞いてほしいのですが、そうした「不気味さ」を覚える感性こそ、実は差別の根源です。なぜ不気味だと感じるのか、恐怖を感じるのか、そのことをよく考えてみてください。実際には何もされてしまうのに、何かされるように勝…