超域史・隣接学概説III(17春)
まあそれはケース・バイ・ケースでしょうね。しかしフランスの人文・社会系学問の場合、好き嫌いなどの問題は、社会に由来する部分と個人に由来する部分とを分けて考える場合が普通ですね。一般には、好き嫌いは個人に帰せられてしまいますが、実はデータを…
マルクスの唯物史観とブローデルの三層区分が異なるのは、以前に授業で指摘したとおり、まずはpratiqueとpraxisの相違になりますね。マルクスの場合、歴史を展開させる革命は、イデオロギーから解き放たれた自由な個人の自覚的な実践によりますが、ブローデ…
社会科学とは、ヨーロッパにおける学問のありようを3つに区分したときのカテゴリーの1つです。もともと人文科学として未分離であった学問から、科学革命を通じて自然科学が分離し、20世紀前後に集合性を扱う分野として社会科学が分岐します。まさにその流…
類似の意味だと捉えてよいでしょう。しかしセニョボスの問題点は、史料批判を個人心理の探究に単純化してしまったことにあります。個人の心理が種々の動きをみせるのは、常にそれを取り巻く外部との関係、相互交渉においてです。外部刺激がまったくない世界…
当時の典型的歴史学は、例えば政治史や国家史が主要なテーマで、そこに登場する個人、すなわち著名な政治家や軍人、思想家、英雄などによって、「歴史」が作られてゆくかのように記述していました。史料批判にしても、最終的に個人の心理のみに拘泥してしま…
実際に官僚として活躍した人物もいたのですが、これはひとつの譬えです。つまり、19世紀フランスにおいて、第3共和制を正当化するナショナル・ヒストリーを創出すべく、古文書学校、高等研究院やソルボンヌといった国家的研究・教育機関に実証史学のパラダ…
ユングですね。むしろ、デュルケーム学派の集合性に対する関心が、ユングに採り入れられたとみていいでしょう。ユングの師であり友人でもあったフロイトは、無意識の概念を見出しました。フロイトにとって、個人の心理の展開過程は種のそれをなぞるものであ…
授業で紹介した『里山という物語』でも取り上げていますが、小学生を対象にしたある調査では、地方に田舎を持たない小学生も一律に、里山的景観を「懐かしい」と感じる傾向があるようです。考えてみると、教育の各段階でも、さまざまな形で里山イメージは喧…
高度経済成長に伴う第一次産業の衰退、都市への人口の集中と農村の過疎化などによって、これまで人間が恒常的に圧力を加えることで維持されてきた低植生の傾向に歯止めがかかります。肥料の刈敷を得るための柴草山、茅葺きなどの材料を得るための茅場などが…
例えば、調査に赴いた民族社会で、あるインフォーマントが、「われわれにとってトラはトラだが、トラはヒトでもある。トラが人間をかみ殺してその血を啜っているとしても、そのトラは果実酒を呑んでいるのだ」といわれたとします。われわれの認識においては…
エルツが問題としたのは、まさにこの質問にあるような生得的要因と社会的・文化的要因の問題で、ふつう生得的と考えられるような事象には実は社会的、文化的要因が隠れているのではないか、ということです。すなわち、このようなサル学的、あるいは唯脳論的…
集合的なものと考えられますので、なかなかひとつの起源に収斂させて考えるのは難しいかもしれません。中国を中心とする東アジアの漢文文化圏のように、左に右よりも高い価値を置く文化もあります。下の質問のように、右利きが多いことに生態的契機があった…
講義でも触れましたが、そもそも贈与は市場経済で機能していた風習ではなく、市場経済が贈与から展開した亜流です。質問に例示されている子供の養育も、現在、社会・文化に組み込まれた行為になっている以上、贈与交換で説明することができます。すなわち、…
北米大陸の太平洋岸先住民諸族に行われていた習慣を、基礎的なデータとしたものです。また、現在でもこのような風習を維持している人々はいますし、講義でも触れたように、日本でも類似の習慣は行われています。現代資本主義が、上でも触れたように市場経済…
確かに、デュルケームは社会の集合性の個人に対する抑圧にも注意していますが、同時に人間が道徳的存在でありうるのは何らかの社会に属しているためだとして、その集合性のあり方を肯定的に捉えています。そうした見方の延長上に、やはり国家や愛国心にも否…
これまでお話ししてきたマルクスの考え方や、あるいは、科学的な思考の枠組みが転換するというトマス・クーンのパラダイム・シフトといった概念が、参考になるかもしれません。近代は、産業革命によって土地の束縛から解放された労働者が増加し、彼らを駆使…
それこそがイデオロギーの役割、つまり資本主義的体制の生産のあり方に人々を従属させるためです。一部政治勢力が「陰謀論的」に企てているわけではなく、資本主義のより大きな利益を獲得しようとする集合的な欲求が、「資本主義しかない」という幻想を人々…
これはもう根本的な話なのですが、現在の資本主義国家はほぼ、「混合経済」という仕組みで経済を動かしているのです。純粋に市場原理に基づいて経済を運営しようとすれば、社会的格差は拡大する一方になり、国家は国民に対し最低生活を保障することができな…
難しい問題です。現実的には資本主義を是正しながら新たな枠組みを志向するしかないでしょうが、まずは新自由主義の跳梁を抑えつつ、社会のセーフティネットを、それを支える市民の心性の部分も含めて再構築してゆかねばなりません。そのためには、職業や階…
なぜ社会主義国化しなかったか、という問いには容易に答えることはできません。学問領域を中心にマルクス主義が流行したのは、ひとつには戦前・戦中の抑圧の反動があります。これまでさまざまなメディア、教育を通じて喧伝されてきた国家主義的言説への幻滅…
博物館レポートの場合は、参考文献を用いなくても構いません。
構いません。しかしその場合、各テーマが有機的に関連するようにしてください。
うーん、そうした形を続けていると、いつまで経っても記憶型の勉強から思考型の研究への転換がはかれません。つまり、大学生になれないということです。また、幾つも見解を集めてくるといっても、あるテーマについてすべての見解を網羅することはできません…
具体的には、弁証法です。これは、マルクスの唯物史観の論理的源泉をなしています。あらゆるもの(テーゼ:命題)は、自己と矛盾・対立する要素(アンチテーゼ:反対命題)を内包しており、しかしその対立・矛盾は相互に依存もしており、やがて新たな段階へ…
そのとおりですね。マルクスは厖大なデータのなかから唯物史観の枠組みを創り上げてゆきますが、しかしその法則性についてはそれほど教条的ではなかったと思います。しかしエンゲルスが世界史の発展原則として整理し、レーニンがより政治的実践的なニュアン…
マルクスにおいてはそれほど教条的ではありませんが、やはりそれは法則性でしょうね。ランケの段階では曖昧な状態にあった神との関係は、マルクスにおいては科学的法則性の議論へ昇華されていると考えられます。
ランケとマルクスの考え方は、質的進歩という意味では類似していますが、個人を扱うか集合的な構造を扱うか、人間をどうみるかという点で大きな相違があります。ランケはヘーゲルとマルクスの間に位置しますが、人間の見方としてはヘーゲルよりで、歴史を自…
マルクスはものごとを捉えるときに関係性を重視し、事象を実体視することを極力回避しました。構造についても同様ですので、彼にとっては常に、上部構造は下部構造があることで上部構造であり、同時に下部構造は上部構造があることで下部構造でありうる、と…
史学史的な大きな流れからいうと、まずは導入時に近世的歴史認識に属していた人々から批判を受け、次いで皇国史観との間に軋轢を生じ、やがて勃興し始めたマルクス主義歴史学がその温床になってゆきます。唯物史観からの批判は戦後に至って加速し、そうして…
講義でお話ししたとおり、その点が「科学」を標榜しようとするときの歴史学の欠点です。しかし例えば、精神分析的歴史学を標榜するピーター・ゲイという歴史家は、我々人間は完全に客観的な視点に立つことはできないし、その認識や記憶にも限界があって、世…