律令厳密主義の欠点とは、具体的に何だったのでしょう。

例えば、長屋王の立案したという百万町歩の開墾計画に、その限界が表れていると考えられます。当時、平城京建設の負担もあり、重い課役に耐えかねた農民たちの浮浪、逃亡が社会問題化していました。一方で農業生産の技術は向上しており、人口は増えてきていましたが、口分田は不足し税収は増加していません。そこで考え出されたのが上記の計画でしたが、農民の土地への執着について考慮せずに公地公民制を貫徹しようとしたものの、労働力を確保することができず失敗したと考えられています。