Hさんの報告についての講評

 とにかくよく調べてありましたね。写本もしっかり読めていましたし、演習の報告としては申し分のないできでしょう。私の範囲設定がちょっと長かったので、1時間以内に収めるのは難しかったと思いますが、よくまとめてくれました。私が前回までの説明で省いてしまった、兼右本のヲコト点の付け方、仮名の字体について解説してくれたのも良かったです。
 さて、そのうえで指摘すべきところというと、講義の終わりにコメントしたことの他には、朱墨(朱の上に墨の重なるもので、朱を訂正した場合がある)や削訂(文字を削って新たに書き入れ訂正したもの。もともと書かれていた文字が分からない場合も多い)の情報が抽出されていなかったことがあります。これはゼミでも扱っていませんでしたし、八木書店のモノクロの影印では分かりにくいので、気づかなかったのは仕方ありません。八木書店影印本の3巻巻末にリストが載っていますので、これ以降の人は参照してください。Hさんの担当分では、以下のようになります。
1)朱墨
 ・p.495-5「父」のヲ点は消去 →読み下しは「慈の父母を」
 ・p.496-5「先」のノ点は消去 →読み下しは「先聖の」
 ・p.497-5「上」のヲ点は消去 →読み下しは「表上ること」
2)削訂
 ・p.495-2「厩」の傍訓「……」を墨で消し「ムマヤ」
 ・p.495-3「耳」の傍訓「ヽノ」を擦り消し「ミヽ」
 ・p.502-2「語」を擦り消し「謂」
 ・p.502-5「議」の送り仮名「ル」を擦り消し「リ」
 ・p.502-7「…」を擦り消し「上」
 それから、森博達氏が倭習とする「因以」の問題。『書紀』編纂に用いられたと思われる仏典には、例えば『梁高僧伝』に11例、『唐高僧伝』に19例、『法苑珠林』に17例確認でき、必ずしも倭習とはいえない情況となっています。森氏は、倭習や奇用が多いことをもって、「留学経験があり仏典に通じている道慈にしては、漢文の文章が拙すぎる」と大山氏・吉田氏の道慈述作説を批判していますが、その論拠の一端が崩れるわけですね。この点、大山・吉田説には有利ですが、森氏のいう拙劣さは「因以」だけではないので、まだ問題が解決されたわけではありません。
 また、中世的視点から『書紀』を読む場合、講義の終わりにもコメントしたように、聖徳太子の記述に注目すると面白いかも知れません。今年の初めにも、小峯和明さんの『中世日本の予言書―〈未来記〉を読む―』が刊行されましたが、中世は聖徳太子信仰が爆発的に拡大し、仏教はもちろん、神道儒教もその言説を利用しようとします。兼右の校訂のありようから、彼の太子に対する認識がどうであったかもみえてくるかも?分かりません。今後の中世、近世専攻の人たちは、自分の担当する記事が中世、近世ではどう読まれたのかに注目して報告をしてくれると、『書紀』の書かれる現場、そして読まれる現場の探究にも広がりができて良いのではないかと思います。よろしくお願いしますね。