生命を循環させるシシ神自身の生命はどのように捉えたらいいのでしょう。/「シシ神は死なないよ、命そのものだから」というラストのアシタカのセリフは、講義の趣旨からするとどのように捉えられるでしょう。

 宮崎駿の設定では、シシ神は下級の神格であるということです。そのためか、植物や動物の生命を循環させる役割は担っていても、気象を操るとか、自然界全体を象徴する存在としては造形されていません。例えば日本の縄文時代には、人々は自然を死/再生の循環現象として捉え、そのこと自体を信仰していました。シシ神はその具象化といえるでしょう。「命そのものだ」というアシタカのセリフも、この世界のひとつの理としてのシシ神の存在を指していると考えられます。それは、人間のなかにもシシ神が息づいているということで、ひとつの希望でもあるのでしょう。