K君・M君の報告についての講評

 内容的には、ちゃんとツボを押さえていてよかったかと思いますが、翻刻の方はいろいろと誤りや漏れがありましたね。細かいところは授業で指摘しますが、訓読は、ヲコト点を読み切れていないところが幾つかありましたし、右訓と左訓のどちらを用いるかの基準も一定していないようでした。それから、抽出すべき情報の見逃しが多くみられました。509頁5行目「垂」の訓「ホトリ」は、「ト」が「リ」の擦り消しのうえに書かれています。511頁5行目「夏」も、ヲコト点のニ点が墨消しされています。511頁7行目「誅」は「誄」の誤字。K君担当の部分では、「敏達」「敏達之女」(521頁3・4行目)といった傍注が抽出されていないですね。また一番重要なのは、(古代史の場合、前もって言っておかなければ見落としがちになってしまうのでしょうが)512頁〜521頁にかけての印記がまったく看過されてしまっていることです。写本を原本としてではなく、写本自体として読む場合、その伝来を伝える極めて重要な情報です。以下を参照してください。
・512頁……「神陽臺」印あり。末尾に「卜部家の本を以て校す。 御判/天文九 六 十七 両部の本(注、一條家本と三條西家本か)を以て見合わせ、書写し了ぬ 花押」
・513頁……「天理図書館蔵」印あり。
・520頁……「糠手姫皇女(敏達皇女/母采女伊勢大鹿首少能女 菟名子媛)」/「押坂大兄皇子(敏達天皇子/母息長真手王女 廣姫皇女)」()内は二行割書。
・521頁……「隠顕蔵」印、「幽顕」印、「天理図書館蔵」印あり。
512・513・521の印記は、この写本が吉田家に蔵書されており、後に天理図書館へ移ったことを伝えてくれます。520頁のメモ書きは、どうやら『本朝後胤紹運録』よりの引用のようです。兼右の手元に資料として揃えられていたようですね。
 内容で面白いのは、やはり日蝕をはじめとする災異記事の応酬でしょうか。皇極紀にはよりエスカレートする筆法ですが、発表にあったように五行志との関係が考えられる一方、最近では春秋学(とくに公羊学)を踏まえている可能性が指摘されています(呉哲男「日本書紀と春秋公羊伝―皇極紀の筆法を中心に―」『相模女子大学紀要』69A、2006年)。「有」字で災異を記すのは『春秋』の表記法で、公羊学はそこに天による譴責を読み取り革命を待望します。森説によると、推古〜舒明紀と皇極紀では成立時期が異なりますが、蘇我氏専横を公羊学的に演出する方針は一貫していたのかも分かりません。