古代の猪名部や船木には、その氏族に伝わる祝詞のようなものはなかったのでしょうか。

そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音を響かせる琴が作られたという逸話があり、「枯野を塩に焼き……」という和歌も付属しています。枯野伝承のキャリアーのひとつは猪名部であると思われますが、ひょっとするとこの和歌の類が祝詞(もしくは呪文のようなもの)としての機能を果たしていたのかも分かりません。