ビデオのなかで鹿の心臓の一部を神に捧げていましたが、なぜすべてではないのでしょう。また銃を突き付ける鎮めなど、なぜ銃があのような役割を担っているのでしょう。/神を鎮めるのに、神の住む山の動物を殺して行うというのがよく分からなかったです。

ビデオでみてもらった狩猟儀礼は、生業と結びついたもので、わざわざ山の神を祀るために鹿を殺すわけではなく、山の神の管轄下にある鹿を人間がもらったのでその返礼をしているのです。同じものを神と人とで分け合うことが重要で、一種の神人共食でもあるわけです。また鎮めは山の神に対してではなく、狩猟した動物の霊に対して、人間に恨みを持ち祟ってこないようにおこなわれます。銃がその祭具として使われるのは、鹿を倒すことができる道具だからにほかなりません。前近代では、武器は単に物理的性能が優れていることで相手を倒せるのではなく、その霊的パワーが相手より強いためにそれとして機能しうると考えられていました。ゆえに、矛も剣も弓矢も、かつては祭具でもあったわけです