百済が日本へ博士を派遣していることには驚きました。日本と百済は対等な関係だったのでしょうか?

六世紀末の飛鳥寺建設において、仏教建築のエキスパートとして瓦博士等が渡来してきていたことは確かです。『書紀』はそれ以前の五経博士等についても、倭の要請(命令?)に従うような形で百済が技術者・知識人を送ってきたように書いていますが、百済側としても半島での自己の立場を有利にするため、倭に利用価値があったということでしょう。