大学で易が教授されたとのことですが、当時の官僚たちも占いをしていたのでしょうか?

吉備真備が子孫に家訓として残した『私教類聚』には、占いに耽溺してはならないとの戒めがあります。この書物は多く『顔氏家訓』を引き写したものですが、日本の社会に意味のないことを引き写しても仕方がないので、貴族の間でも易の流行があったと思われます。民間でも時折占いの流行があり、国家によって禁制された例もありますし、率川社の相八卦読みのように、説話に残る易のスポットもありました。