中国古代は、中原でもまだ気温が高く、亜熱帯のような気候だったと聞きます。寒冷化が始まったのはいつからなのでしょう。

環境史においては、秦が拡大して戦国諸国を滅ぼし、統一帝国を構築してゆく過程に寒冷化の影響をみます。このとき、南方の雄であった楚や、長江文明の象徴のように考えられている巴蜀が秦によって滅ぼされますが、その背景には華北の寒冷化に伴う人々の南進があったと想定されているのです。この圧力は海外にまで及び、日本列島へも渡来の波を起こして、縄文から弥生への変化を招来することになります。