「伐梓」が、異民族討伐から樹木伐採へ意図的に読み替えられたとするなら、それはどのような目論見からだったのでしょう。

どなたかの感想にもありましたが、やはり自然の征服を象徴する物語へ転換するためでしょう。六朝期の志怪小説には、英雄が神を殺して自然を克服する話が多くみられます。南北朝期、中原への遊牧民の侵入によって漢民族が南方へ移動し、その地で大規模な開発が行われました。こうした動きを正当化するために、李冰は開発神として祭り上げられ、秦王はそのオリジンとして位置づけられることになったのでしょう。始皇帝トリックスター的な行動も影響しているものと思われます。