筮儀を行う回数は明確に決まっていたのか。

殷代の亀トは、甲骨ト辞によると、例えば五回占って最もよい結果を採る、といった方法が実践されていました。殷代の末期には、三人で亀トをなし多数決で結果を決める三ト制が始まりますが、この方法は『尚書』洪範にも明記されて易へ受け継がれたようです。三度占いをなすことは古代日本へも伝わり、最も多くのト骨を出土した弥生期の青谷上寺地遺跡からは、三つセットになったト骨が出土しています。