僧旻虚構説が事実とすれば、なぜ道慈は大僧の名である「僧旻」を採用したのでしょうか。

そこがやはり解釈論になってしまう、問題点のひとつですね。ただし、仏教公伝から崇仏論争に至る流れもそうですが、『書紀』は、中国北朝南朝の仏教史をモチーフに記事を述作している形跡があります。南朝の仏教国家梁において、皇帝を補佐するような高僧であった僧旻の存在は、国家仏教の構築を目論む道慈にとって重要な先蹤だったことは確かでしょう。