山背大兄の死が『書紀』と「大織冠伝」で違うのは、後者が蘇我の非道を強調しようとしたからでしょうか。

全体の文脈を通してみますと、実は『書紀』の方が、蘇我氏を中傷する記事(主に天皇に対する僭越な行為の数々)を多く載せています。「大織冠伝」の第四節では、蘇我氏は五巻末の暴臣董卓に準えられていますが、一方で入鹿の才能を高く評価する言辞もみられます。とにかく奈良期の歴史観では蘇我氏は悪者、『書紀』にしても「大織冠伝」にしてもその書き方に大した相違はありません。「大織冠伝」が山背大兄の自殺を入鹿の殺害と記すのも、当時の人々が「入鹿によって殺されたのと同じだ」(実際に彼は殺害する気だったようですし)と認識していたことを表していると思われます。