柳は信仰の対象なのに、どれを扱う柳匠はどうして被差別民なのでしょうか

聖/賤が表裏一体で容易に返還されるファクターであることは、人類学・民俗学・宗教学などの分野でよく言及されてきました。最も典型的な事例は「ケガレ」に関わる民俗です。『古事記』上巻の神話世界では、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴神は、イザナキが黄泉国から逃げ帰ってきて禊ぎをした際、濯いだ体のなかから生まれてきます。民俗学の新谷尚紀氏(ぼくの師匠のひとりです)は、この神話や他の民俗調査から、カミなるものは集積されたケガレが価値転換され生み出されると考えています。平安〜中世、聖なる存在である神社に奉仕し、雑務や清掃を担った神人も賤民的な扱いを受けていました。柳匠も、聖なる存在を扱うがゆえに他の職種・階層から疎外され、被差別民的な位置にあったのでしょう(もちろん、日本の被差別民と同様に、牛馬の解体処理などを担っていたことも一因です)。