人間の世界と向こう側の世界を往復する狐の役割が面白いと思いました。『書紀』にも出てくる流星がなぜ狐を示すことになるのかよく分かりませんが、客星がよくないことを示すように、狐も悪いものを表したりするのでしょうか。

講義でもお話ししましたが、簡単にいってしまうとやはり〈境界〉的な存在なんでしょうね。狐は自然の森・山=野生と、人間の住む里=文明を往復する存在です。同様の現れ方をする鹿や猪が、農作物を食い荒らす害獣として駆除される一方、山神の使いとして祀り上げられるように、狐も両義的な性質を付与されることになります。早いところでは、『霊異記』下38で撰者の景戒が、自宅で狐の鳴いたことと飼っていた馬の死とを結びつけて解釈していますし、大江匡房も『狐媚記』のなかに、当時平安京周辺で語られていた狐の怪奇談を収めています。昔話の類では、狸と並んで人を化かす代表であることはあまりにも有名ですが、狸がどことなくユーモラスに描かれているのに対して、狐の化かし方や顛末には陰惨な色彩が濃いですね。それは陰陽説で陰に割り当てられた狐が、女性に結びつけられていったこと(平安以降、仏教の浸透のなかで、女性が嫉妬深いもの・執念深いものとされてゆくこと)と関わりがあると思われます。