修羅で木棺を載せた船を引くという葬送儀礼は、木棺を古墳まで運ぶためのものなのでしょうか。それとも、船を引っ張ってゆくこと自体に意味があるのですか。

いい質問ですね。機能主義的に考えるなら、もちろん前者で、船に載せる形にしたのは副次的なものだということになるでしょう。しかし文化史的に考えれば、儀礼形態自体に意味があるのだ、ということになります。先日上梓した樹木婚姻譚に関する拙論でも触れたのですが、樹木の生命を建築物の守護神に転化するための木鎮めの祭儀のうち、最も重要な局面を持つのは、山林から伐った木を「引き出す」作業です。現在も行われる伊勢の式年遷宮、諏訪の御柱祭でも、お木曳きは多くの参加者を集めて盛大に行われます。有名な説教節『小栗判官』では、地獄から蘇った死体の小栗=餓鬼阿弥は熊野の湯で蘇生しますが、東国から熊野まで多くの人の手で引かれてゆくことに、蘇るための本当の鍵があるようです。いずれも、ある世界から別の世界への境界を超えさせる、それが「引く」ことの意味となっているようです。中国で一時期流行した、仏像を車に乗せて練り歩く行像の影響もあるかも分かりません。船の葬送儀礼も、「引く」ことによって、死者を冥界へ送る意味を担っていたのでしょう。