馬王堆漢墓の朽ちぬ遺体は、「尸解仙」の観念で考えられた可能性もありますか?
馬王堆はともかく、確かに、不思議な死に方をした人の言説が、尸解仙と関連付けられたことはあったようですね。ただし、中国の神仙伝類では「衣を残していなくなっていた」と書かれるのが普通なので、朽ちぬ遺体と直接的に繋がる事例は知りません。とにかく、通常の腐乱→白骨化という道筋を辿らない死体は、大別して神聖視/邪悪視の二者択一の道を辿ったようです。古代日本では、現存最古の仏教説話集『日本霊異記』において、仏教の聖者と尸解仙の同一視が起きています。聖徳太子伝を彩るエピソードのひとつ、「片岡山飢人」説話がそれですが、太子が食を施した飢餓の旅人の死体が消えてしまうという内容です。『霊異記』はそこに、仏の化身たる「隠身の聖」の姿をみますが、物語の枠組みからすれば明らかに尸解仙なのです。馬王堆の夫人も、どこかでこのような語られ方をしているかも知れません。