仏教では、朽ちぬ遺体を往生者と扱うとのことですが、ではなぜ現代の日本では火葬にしてしまうのでしょう。

当然、古代の中国でも日本でも、火葬は仏教に関わる葬法として実践されていました。往生伝の類をみますと、火葬にふすまでの殯の期間にまったく腐乱しなかったとか、芳香が漂っていたなどの言説がうかがえます。六朝から隋唐にかけて広まったとある仏教的奇跡譚には、『大品般若経』や『法華経』を読誦していた僧侶を火葬にしたところ、舌だけは燃えなかったので仏塔などに安置したというものがあります。鳩摩羅什が翻訳した『大智度論』に初出し、その後高僧伝類に頻出して、日本にも伝わり普及してゆく物語です。火葬は死者への執着を断つうえで最も効果的とされる方法ですが、むしろその死者への執着を体現するようなこの種の言説は、西域や中国の在来信仰との関わりで生じてくるのでしょう。まさに、朽ちぬ遺体などとの関わりが想定されるところです。