最終的に、なぜ斉明の子供たちが手がけた『日本書紀』に、あれほど色濃い批判が書かれているのでしょうか。

完全に、編纂時の天武皇統に有利な記述しか書かれてないわけではない、その点に『書紀』の史書としての客観性があるのでしょうね。中国王朝の正史を編纂してきた史官たちには、代々「王権より以前に天に奉仕している」との意識が強く、所属する国家や帰属する王への批判も客観的に行ってきました。古代日本の史官にそのような職業倫理があったとは思えませんが、朝廷を構成する種々の王族たち、氏族たちの利害関係もあり、安易に史実を歪曲することはできなかったのでしょう。斉明への批判が顕著なのは、それだけ同時代の批判が強く、後代にも隠蔽・払拭が容易ではなかったことを意味するものと思われます。