〈描く〉ことで鎮祭するという宗教的実践は、中国から伝わってきたものなのですか。

これは恐らく、仏教の修行のひとつで浄土教にも強くみられる〈観想行〉に由来しています。詳しくは最近書いた、「礼拝威力、自然造仏」(『親鸞門流の世界』法蔵館、2008年)を参照してください。仏や浄土の世界を現実にあるかのように思い浮かべる、そして実際にみえるようにする修行です。所依経典としては『観無量寿経』が有名ですが、菩薩受戒の前に義務づけられる観仏は、東大寺大仏の思想世界を構築した『梵網経』にも書かれています。比叡山でも、つい最近まで実践されていたようです。中国や日本の僧伝類、説話類に残る、山野河海から仏像や仏塔が出現したという奇跡譚は、恐らくこの修行を物語化したものでしょう。郎女が当麻寺から二上山にみる大津=阿弥陀仏のイメージも観仏であり、これが曼荼羅に描き出される過程で、大津自身の純粋な魂=白珠=仏性が覚醒し、成仏へと導かれてゆくことになるのです。