ドラマ『聖徳太子』で、物部守屋が弩で射殺されていました。当時から弩は存在したのでしょうか。

弩は弥生時代から存在したことが知られ、律令軍制にも規定されています。しかし、6〜7世紀の段階ではそれほど一般的な武器ではなかったでしょう。ドラマで弩を使っていた人物は新羅からの渡来人という設定で、その先進的技術と仏教の知識を通じて太子に奉仕した人物と描かれていました。『書紀』には、守屋を射殺したのは迹見赤檮という弓の名手の舎人であったと書かれています。