仏教と在来宗教との融合は、仏教を受容した国ならどこでもあることかと思いますが、日本でこんなに早い段階から進んでいるとは思いませんでした。神社と寺院が混ざったような施設は、いつごろからあるのでしょうか。 / 在来信仰と仏教との結びつきは、古い時代には必ずしも強くなかったように思います。民衆レベルではどのように捉えられていたのでしょう。

文献から確認できる神仏習合の最も早い例は、『日本霊異記』上巻七縁に描かれた三谷寺で、白村江の戦いの後に「神祇のために」建てられた伽藍と書かれています。また、『藤氏家伝』下巻「武智麻呂伝」では、霊亀元年(715)、藤原武智麻呂によって気比神宮に神宮寺が建立されたと伝えています。神仏習合自体は、中国仏教の彫琢した在地の廟神信仰を取り込むための論理ですが、神宮寺は中国にはない日本オリジナルの施設で、神祇を仏教によって祭祀する機能を担っていました。先の『霊異記』『家伝』の記事とも事実を記録したものかどうか分かりませんが、少なくとも、聖武朝の仏教国家に宇佐八幡神が賛意を表する奈良期後半には、各地で仏教/在来信仰の融合が進みつつあったと思われます。