古墳の終焉とともに寺院が増加したとのことですが、その財源はどのように確保されたのでしょう。税金でしょうか。

仏教の普及と定着を図りたい国家は、推古天皇二年二月の三宝興隆詔以来、各氏族の氏寺創建を積極的に援助してきました。しかし、天武天皇九年には、二、三の国大寺以外は官による管理を終了し、食封も30年を限度に停止することにしたようです。推古朝から持統朝にかけて寺院が爆発的に増加したことは講義中でも扱いましたが、霊亀の寺院合併令によると、各氏族が財政的援助目当てに信仰のない寺院を濫立させる情況が生じていたといいます。官営工房の瓦としては山田寺式が有名ですが、これはかなり広範囲の流通が確認されており、寺院造営援助の実態を示す資料として注目されてます。