数々の宮が登場していますが、遷都された後の建物などはどう処理されたのでしょうか。再利用はあったのですか。

されていますね。近年、年輪年代測定法の進化が著しく、遺跡出土の木材がいつ頃伐採されたものであるかがよく分かるようになってきました。昨年10月にも、平城宮跡で検出された木材の1つが694年の伐採であったと確認され、藤原宮もしくはその周辺の建築物の柱の再利用であると推測されています。奈良時代中頃に聖武天皇が次々造営した宮には部材の継承がありますし、桓武天皇が最初に造営した長岡宮には、難波宮平城宮からの再利用が確認されています。やはり、大径木の柱を確保するのは困難だったのでしょう。