古代人にとっては、自然環境も、国を発展させてゆくための手段のひとつに過ぎなかったのでしょうか。

いまお話ししている7世紀の時期に、自然環境を客体として、対象としてみるまなざしが展開してゆくものと考えられます。それ以前は自然と人間は一体であり、人々は自然の神を恐れ敬い、それに育まれる形で生活を営んでいた。それが開発の対象、発展のための資財の産出地、そのように定義づけることで、自然/人間の分離が進行してゆくものと考えられます。面白いのは、その葛藤が史料に現れているとことですね。斉明天皇の頃には大規模な開発が受け容れられず、天皇は数々の批判を受けるのに、持統天皇に至るとそうして形跡がなくなっている。しかしこの女帝だって、最高のシャーマンとして山川の神々を祀り、藤原京に対する諸神の祝福を祈願しているのです。そこには明らかに矛盾がありますが、そこが古代人の興味深いところだと思います。