『霊異記』の鬼が牛を食べるのは、古代中国で祀廟に牛が犠牲として供えられていたことと関係あるのでしょうか。 / なぜ冥界の使者は、豚や鶏ではなく牛の肉を欲しがったのでしょう。 / 食事を与える以外にも、鬼と交渉を可能とする方法はあるのでしょうか。

指摘のとおり、恐らくは三牲の習俗に基づくものでしょう。豚や鶏でないのも、三牲のなかで牛が最も高級な犠牲だったからです。しかし仏教の内的論理からすると、講義でもお話ししたように牛が人間に近い生命とみられていたことや、奈良〜平安期に度々流行した殺牛祭神(牛を犠牲に捧げて神に祈る習俗。漢神信仰とも呼ばれた)との関わりが指摘できます。後者については『霊異記』にも、牛を殺して神を祀っていた男が、罪を問われて地獄に召喚される話として出てきます。その他の交渉方法ですが、基本的にこの鬼も神霊なので、交渉のための賄賂は祭祀の供物なのです。牛もしかり、そして経典読誦も、神が仏教を喜ぶという習合思想から来ています。食事を与える以外にも、お供えとして機能しうるものであれば、交渉の材料になるでしょう。