式年遷宮のために、杣山の樹木がなくなってしまうということはなかったのでしょうか。

伊勢の杣山には時代的変遷があります。当初は神宮周辺で調達していたようですが、次第に広範囲に及び、江戸期には木曽山へ固定されたようです。神宮の建築物を賄うには充分だったようですが、恐らくは周辺の農村、政治勢力との山をめぐる競争があり、良材を得るための移動を余儀なくされたと思われます。近世には、宮域の山々が耕地維持のための草山化、薪炭材の確保のための伐採にさらされて荒廃し、五十鈴川の氾濫を招く結果にもなりました。杣山については、木村政生『神宮御杣山の変遷に関する研究』(国書刊行会、2001年)を参照してください。