国見とは支配地域の確認であるとのことですが、この当時天皇が支配していた地域とはどれくらいの広さだったのでしょうか。

国見自体は、その視界の及ぶ範囲にしか効果を及ぼしませんので、天皇行幸して移動し、重要地域の高所に登っては国見をしたようです。支配地域の方は、それとは関わりなく広範囲に及んでいて、すでに5世紀の雄略天皇の頃には東国から九州までを支配下に入れていました。また斉明天皇以降の蝦夷征討によって、東北・北陸、南西諸島にも勢力を拡大していました。持統朝には、かなり広範囲な領域を支配地として掌握していたと思われます。