『六道絵』の閻魔王庁幅で、赤子を捨てた女性の足が纏足になっていました。清朝などでは、纏足は「女性の美しさ」の点で語られていますが、これが罰則のようなイメージで描写されているのはなぜなのでしょう。

纏足が流行した背景には、もちろん「美しさ」もありますが、それは表層に過ぎず、実際は女性を家庭へ束縛することにあったと思われます。また、美は性と不可分ですが、纏足の場合にも局部の筋肉の発達と関連づけて語られました。東アジア仏教は女性を穢れた存在とみなす傾向が強いですが、纏足に対しても「性的堕落」の目を向けていたと思われます。