乙巳の変のあとにも、王殺しの思想に基づく事件やその記述は存在したのでしょうか。

どうなんでしょう。従来の日本史では、天皇制の存続を考えるとき、政治的権力は将軍に移ったが宗教的権威は天皇にあり、ゆえに日本列島においては、天皇/将軍による二元的支配が長く続いたといわれてきました。しかし近年の研究では(例えば曽根原理『神君家康の誕生』〈吉川弘文館、2008年〉を参照)、室町将軍や徳川将軍なども天皇と同様の即神的性格を持っていたことが明らかにされています。とすれば、歴代幕府の滅亡にかかる戦乱や下克上の気風、目立つところでは本能寺の変などは、王殺し習俗との関連で再検討することができるかも知れません。