季布一諾、阮瞻三語

【レジュメの訂正点(主要なもの)】
・「項籍使兵」(レジュメp.1-l.7。一・二点は使わない)……「項籍兵に将たらしめ」と読んでいますが、「将」は「ひきゐる」とも訓めるので、「項籍兵を将ゐしめ」としても間違いではありません。現代語訳としては、「項羽は彼を将帥に抜擢し」とした方が正確でしょう。
・「将、将然之辞也。偏修則無同、善修則同。在修之耳。故云、将無同」(レジュメp.8-l.9)……「将は、将に然らむとすの辞なり。偏りて修むるは則ち無同、善く修むるは則ち同、之を修むるに在るのみ。故に云はく、「将、同じきこと無からむや」と」。現代語訳はレジュメの通りでいいと思いますが、箋注は「将」字に、「偏」から「善」へのベクトルを示していると読みたいところです。
【テーマについて】……「一」「三」という数にも注目したいところです。『易経』以来、数が何を意味しているのかという問いは、中国哲学において極めて伝統的なものでした。「一」「三」は奇数=陽数であり、前者が太一、後者が天・地・人を意味するように、この短い数には宇宙を体現する真理が隠されているのです。また、松浦君のいうように封建的君臣関係も重要ですが、主人公を見出し抜擢できる存在がいないと話は進みません。季布にしても阮瞻にしても、そのちょっとした言動のなかに深奥なメッセージを汲み取ってくれる存在があったからこそ、不遇より脱出できたのです。社会に埋もれている多くの「天才たち」は、『蒙求』を通じてそうした人物の到来を切望・夢想したのでしょう。