室町時代に自然への畏怖がなくなっていった、自然が人間にとって支配可能なものになっていったということについて詳しく知りたい。 / 和辻哲郎の『風土』では、その地域の自然との関わり方を述べている。そのなかで日本は、自然と共生しながら生きてきたとある。それがなぜ室町時代に「シシ神」を殺すことになってしまったのか疑問に思った。

以前多少説明したような気がします。少なくとも、「日本が自然と共生してきた」といえるかどうかが甚だしく疑問である点は、講義の1回目から口を酸っぱくして語ってきました。もしそれを聞いていないのだとすれば少々萎えますが、講義を聞いたうえでさらなる知識を求める質問と受け取りましょう。まず和辻哲郎の『風土』ですが、環境史においても研究史的に大きな価値のあるものであるのは当然ながら、現代に至る長期の歴史過程を捨象した大ざっぱな議論は説得力に欠ける部分も多く、今となっては批判的に読まれるべき著作です。何度もいいますが、日本列島では弥生期から大規模な森林伐採が開始され、縄文期にはほとんどの平野を覆っていた低湿地林や森林が急激に姿を消してゆきます。古代から中世にかけては、そういった自然を象徴する神々を人間が開発によって殺すという物語が次々に生まれ、環境改変を正当化する心性を育んでゆきます。室町時代には気候が温暖化する一方で農業技術も進展し、寺社の背負う森林も含めてさらなる開発が進行します。結果として、人間が自らの生活のために自然をコントロールする里山が生まれますが、その実態は現在のような緑豊かな田園風景ではなく、水田経営のための草肥を得るべく樹木を切り払った、はげ山・草山・柴山と呼ばれる〈樹木のない世界〉に他なりませんでした。小椋純一『絵図から読み解く人と景観の歴史』(雄山閣、1992年)、水本邦彦『草山の語る近世』(山川出版社、2003年)などを参照してください。